豊歳神社 北野山多聞寺

 11月26日に摂津の史跡巡りを行った。この日訪れたのは、神戸市北区と兵庫県三田市の史跡である。

 まず最初に、神戸市北区大沢(おおぞう)町市原にある豊歳神社を訪れた。

豊歳神社

鳥居

 豊歳神社は、農村の中にあるが、私が訪れた時は、地元の人たちが境内の清掃を行っていた。

 豊歳神社の創建年代は詳らかではない。今の本殿が建立されるまでは、近くの上津谷(こうづだに)にある大歳神社の分霊を祀っていたようである。

鞘堂

 永正八年(1511年)に現本殿が棟上げされた際に、伊勢神宮の外宮の豊受大神を勧請し、社名を豊歳神社と改めたという。

 豊歳神社本殿は、紀守国が寄進し、奈良の大工宝田宗行が建てたそうだ。

 本殿は、鞘堂に覆われており、屋根、柱、組み物がよく保存されている。

鞘堂の蟇股の彫刻

 鞘堂正面の格子窓から内部を覗くと、本殿の正面を見ることが出来る。

 本殿は、春日造、檜皮葺である。

 極彩色に彩られ、正面上部の雲龍の彫刻や欄間の透かし彫り、向拝柱上部の組み物が独特で、国指定重要文化財となっている。

本殿

 室町時代後期から桃山時代にかけての神社建築の様式を今に伝える貴重な遺物と言える。

 ありがたくもいいものを拝観できた。

 ここから東に行き、神戸市北区長尾町宅原(えいばら)にある曹洞宗の寺院、北野山多聞寺を訪れた。

北野山多聞寺

 多聞寺の前身は、7世紀中ごろにこの地に建てられた長光寺であるという。

 天正年間(1573~1592年)に秀吉と別所長治の間で争われた三木合戦の際に、別所方の寺院だった長光寺は秀吉の手で焼かれたが、仏像は焼失を免れた。

 明治28年に、廃寺となっていた長光寺と、神福寺、雲禅寺を合わせて、多聞寺が創建された。

山門正面にある仁王像

 この寺には、3体の国指定重要文化財の仏像が安置されている。

 本尊は、平安時代の作である毘沙門天立像である。

 毘沙門天は、仏法の守護神である四天王の一柱で、手に戟と宝塔を持ち、邪鬼を踏みつける姿で有名だ。

毘沙門天立像を祀るお堂

 多聞寺の毘沙門天立像は、彩色がほとんど剥落し、素地が現れているという。

 脇侍として、平安時代後期作の吉祥天立像と鎌倉時代後期作の地蔵菩薩立像が祀られている。

 毎年1月13日に開催される毘沙門天大祭で、これらの仏像は一般に公開される。

本堂

 今回は、摂津の北西に当たる神戸市北区と三田市を巡るが、畿内の辺境と言っていいこの地にも、古くからの文化が息づいているのを感じる。