三田市街から北上し、三田市下槻瀬(しもづきせ)にある真言宗の寺院、深谷山蓮花寺を訪れた。
蓮花寺は、7世紀の中頃、第36代孝徳天皇の時代に、法道仙人により開創されたと伝わっている。
蓮花寺の山門は、戦国時代に焼失したものを、その後豊臣秀頼が再建したもので、近年までは単層の仁王門であった。
昭和63年の解体修理の際に、屋根下の木組みを調査した結果、建築当初は二層の楼門であったことが判明したため、創建当時の姿に復元された。
山門の柱を見ると、風化と虫食いの度合いから、かなり古い時代の柱であることが分かる。
縁腰組は三手先までの斗栱が組まれ、中備に間斗束(けんとづか)を配するなど、室町時代らしい和様の造りである。
鎌倉時代の作だろうか。古びたいい像だ。
また、山門内にある柱から、6方向に放射状に虹梁が伸びていて、二階の重量が山門内の二本の柱に集約されるようになっている。
兵庫県小野市にある極楽山浄土寺の国宝浄土堂の構造とよく似ている。
蓮花寺山門は、室町時代の建築様式をよく保存しているため、兵庫県指定文化財となっている。
山門を潜って坂を上り、境内に入ると、兵庫県指定文化財の蓮花寺弥陀三尊種字板碑と三田市指定文化財の一石五輪塔がある。
弥陀三尊とは、主尊の阿弥陀如来と脇侍の観音菩薩、勢至菩薩を指すが、弥陀三尊種字板碑には、この三尊の種字つまり梵字を彫っている。
中央に阿弥陀如来の種字を大きく彫り、その下左右に脇侍の観音勢至の種字を彫っているが、浅く彫られているので分かりにくい。
種字の下に銘文があるが、それによると、この板碑は嘉暦二年(1327年)秋彼岸の日に、聖衆が建てたものだという。
聖衆とは、念仏を唱えながら全国を遊行していた者たちだが、その聖衆たちが造塔供養こそ仏の教えに叶うとして建てたものだそうである。
重量感のある立派な五輪塔だ。
弥陀三尊種字板碑と石造五輪塔の奥には、十三仏を祀る十三仏堂がある。
十三仏とは、不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩のことで、死者の死後、初七日から三十三回忌までの十三回の追善供養の際に、死者を審理する冥界の王たちの本地仏とされている。
真言宗の法要では、それぞれの法要を司る十三仏に関する経が唱えられる。
堂内に入ると、中央の胎蔵界大日如来を始め、十三仏の仏像が祀られていた。
死後に冥界の王や十三仏に生前の行いを審理されるというのは、素朴な民間信仰に過ぎないと思うが、遺族が死者を思い出す行事として、次第に不可欠なものとなったのだろう。
蓮花寺は、中世の遺物が多く残る寺である。古寺には、昔の日本人の信仰の姿がひっそりと残っている。