木山寺の東側の山中に、木山神社の奥宮がひっそりと建っている。
木山神社奥宮への案内看板はないので、危うく見過ごすところであった。
奥宮があることを知らずに参拝すると、確実に見落とすであろう。
木山寺南側の駐車場から南に歩くと、東に入る道がある。その道がそのまま奥宮の参道につながっている。
奥宮の参道は、ここ最近歩く人も少ないからだろうか。雑草が生え始めている。
奥宮は、昭和37年に里宮が出来るまで、木山神社の本殿だった。今は参拝者も疎らなことだろう。
この雑草が覆う参道を進んでいくと、鳥居があり、その先に随身門がある。
木山神社は、天正五年(1577年)にこの随身門を除いて火災で全山が焼失した。
随身門の左右には、応永三年(1396年)の銘のある木造門客人神(かどまろうどしん)立像が安置されている。岡山県指定文化財である。
この随身門も、その当時から建っていたものかも知れない。木山神社、木山寺の建物の中で、最も古い建物だが、門自体は文化財に指定されていない。
門客人神立像は、南北朝の争乱がようやく収まった時代に造られた像だ。
随身門の地面は、石畳になっている。印象的であった。
随身門を潜ると、目の前に小高い丘が見える。奥宮がある場所である。
奥宮本殿は、天正九年(1581年)に再建されたものである。
最後の石段を登ると、広々とした空間が広がり、大きな奥宮本殿が姿を現す。
祭神は、元は木山牛頭天王と木山善覚稲荷大明神であったが、神仏分離後に記紀神話に出てくる須佐之男命と稲倉魂(うがのみたま)神になった。
奥宮本殿は、近年修復された。銅板葺の屋根は瑞々しい美しさである。
平入の入母屋造で、正面に唐破風と千鳥破風がある。そう言えば、木山寺鎮守殿の屋根の形が奥宮本殿と同じである。
美作地方の神社建築に多い中山造である。
本殿の前に、切妻造の拝殿がある。
本殿は、桃山風の豪華な作りで、岡山県指定文化財になっている。木山の山頂に建っており、文字通り木山神社、木山寺の根源的存在である。
根源的な存在が、最も目立っていないというのが、かえって奥床しく感じられる。
それにしても、丈高い建物である。吉備地方では、吉備津神社本殿、中山神社本殿に次ぐ大きさの本殿ではないか。
そのスケールに圧倒される。
これほどの大きく豪華な本殿なのに、参拝客は私だけであった。
木山山麓の里宮と山頂の木山寺が参拝客を集め、古くからの本殿だった奥宮は静かに佇んでいる。
私にはむしろ、祭神がここで静かに伸び伸びとされているように感じた。