醍醐寺の参拝を終えて南下し、由良川手前を左折して、京都府道74号線を東進すると、右手の田の中に鬱蒼と茂る森が見えてくる。
京都府福知山市川北にある稲粒神社の鎮守の森である。稲粒神社の鎮守の森と境内は、京都府文化財環境保全地区に指定されている。
神社には必ずと言っていいほど鎮守の森がある。神々が木を依代(よりしろ)とするという信仰のためである。
境内の西側に鳥居があり、手前に橋が架かる。
稲粒神社の祭神は、江戸時代までは稲粒大明神とされてきたが、今は宇気母智(うけもち)神とされている。
「日本書紀」の保食(うけもち)神と同一であろう。人間の食物を生み出した神様とされている。
稲粒大明神の名も、明らかに稲を神格化したものである。
稲粒神社の本殿からは、寛政十一年(1799年)の棟札が見つかっている。この年に棟上げされたものである。
棟札によると、稲粒神社本殿は、播州三木の大工と地元の大工の合作である。
一間社流造で正面に唐破風が付いている。
彫刻は、丹波国柏原郡の彫物師中井権次一統の五代目丈五郎橘正忠の作である。
相変わらず微細で雄渾な彫刻だ。
斗栱は二手先まで組んでいて、尾垂木は渦紋と龍の彫刻である。
斗栱の間には、獅子、兎、虎の彫刻が施されている。
脇障子は斜め後方に開いて付けられている。
稲粒神社本殿は、小振りながらふんだんに細工が凝らされた優品として、京都府有形登録文化財となっている。
稲粒神社から府道74号線を挟んで西側にある川北の集落内に、太光薬師堂がある。
太光薬師堂は、かつてこの付近にあって廃寺となった東禅寺の境内にあったものを移転したものである。
この川北集落は、京都の松尾大社の神宮寺の荘園だった雀部(ささべ)荘に含まれていた。
東禅寺は、雀部荘に建てられた寺院で、鎌倉時代には成立していたらしい。
また太光薬師堂には、貞治三年(1364年)の銘のある石造大日如来坐像が安置されている。
石仏は非常に重く、黒い硬砂岩で出来ているという。
法界定印を結び、唐草模様の宝冠、胸飾り、両腕の腕釧が、光背や台座とともに精巧に彫り出されている。
背面に貞治三年の銘と、大工彦四郎の銘が刻まれているそうだ。
年紀と作者名が判明する京都府下では類例のない貴重な石仏として、福知山市指定文化財となっている。
中世には、日本の各地に京や大和の寺社の荘園が多数存在した。
それらの荘園には、管理する寺社にゆかりのある寺院や神社が作られた。
荘園という制度は、中央の文化を地方に伝播する役割も果たした。
中世の痕跡は、今も日本各地に残されている。