木山神社里宮の参拝を終え、木山山上に続く自動車道を使って、木山寺に赴いた。ここは真言宗の寺院である。
明治の神仏分離までは、木山寺は木山神社と一体化していて、合わせて木山宮と呼ばれていた。
弘仁六年(815年)に弘法大師空海がこの地を訪れて、開基したという。
木山寺の参道入口には、朱色に塗られた鳥居が建っている。大正7年に建立された鎮守鳥居である。
鎮守鳥居の扁額には、木山寺に祀られている木山牛頭天王と木山善覚稲荷の名が書かれている。
寺院の入口に鳥居があり、その扁額に神名が書かれている。木山寺は、近世以前の神仏習合の姿を今に留める寺院である。
鳥居の左側には池があり、江戸時代中期に建てられた弁才天の小祠が祀られている。
鳥居の奥に架かる成就橋は、明治38年に架けられた橋である。
成就橋を渡って見上げると、境内に続く石段がある。石段脇に建つ石柱を見ると、高野山真言宗別格本山木山寺と刻まれている。
木山寺は、格の高い寺院らしい。
石段の左右に、「南無薬師瑠璃光如来」と書かれた幟が並んでいる。薬師瑠璃光如来は、木山寺の本尊で、鎮守の木山牛頭天王は薬師瑠璃光如来の化身とされている。
木山牛頭天王は、木山神社では須佐之男命として祀られている。神社の祭神の本体が仏というのが、神仏習合の本来の姿である。
木山神社と木山寺は、神仏習合の形を今に伝えている。
石段の先には、元禄元年(1688年)に建立された不老門がある。木山寺の中では、最も古い建物である。
不老門の扉には、細かい彫刻が施されている。
さて不老門を潜って境内に入ると、すぐ右手にあるお堂が目についた。弘法大師空海を祀る大師堂である。
この大師堂の彫刻が実に見事であった。
大師堂自体は、そう古い建物ではなさそうだ。だが真言宗の宗祖を祀る大事な場所である。
内陣は、まさに密教空間と言ってよい荘厳な空間であった。
まるで自分の心が自分の心を見つめているように感じる。
大師堂の北側には、客殿や庫裏といった、寺院の生活空間がある。
立派な表門が客殿の前にある。
表門には医王山と書かれた扁額が、客殿の玄関には感神院と書かれた扁額が掲げられている。
木山寺の正式名称は、医王山感神院木山寺と言う。
客殿は、明和二年(1765年)に再建された。千手観世音菩薩像を持仏本尊とし、不動明王と多聞天を脇仏としている。
堂々たる建物だ。
木山寺に祀られた本尊が、木山寺と木山神社の中心であると思う。
次回は本尊を祀る本堂を紹介する。