小豆島町 誓願寺 前編

 明王寺の参拝を終え、レンタサイクルで南に走る。

 小豆島の南側にある三都半島をママチャリでほぼ一周するという過酷なポタリングが始まった。

 山道を上っていくと、池田湾を眼下に見下ろす絶景ポイントがあった。

池田湾

 まず一山越えて、小豆島町二面にある真言宗の寺院、誓願寺に辿り着いた。

 ここは、国指定天然記念物の誓願寺の大蘇鉄があることで有名である。

 入口に蘇鉄を梵字で書いた看板があった。

梵字の看板

誓願寺

 山門の手前に奥之院大師堂がある。弘法大師空海が祀られている。こういう素朴な大師堂を見ると、弘法大師は未だに民間信仰の中に生きていると感じる。

奥之院大師堂

大師堂に祀られた弘法大師

 山門は、二階に梵鐘が下げられた鐘楼である。

 華頭窓の上の獅子頭の彫刻が印象的だ。

山門

獅子頭の彫刻

山門二階の背面

 山門を潜ると、境内の中央に、天然記念物の誓願寺の大蘇鉄が場所を占めている。圧倒的な存在感だ。

誓願寺の大蘇鉄

 この蘇鉄は、行基菩薩御手植えの蘇鉄とも、小豆島の廻船業者塩屋金八が元禄年間(1688~1704年)に長崎から持ち帰り、寄進したものとも伝えられる。

 先ほど紹介した山門も、難破した塩屋金八の船の部材から作られたと言われている。

天然記念物誓願寺蘇鉄の碑

 奈良時代と江戸時代では大きな違いであるが、これ程の巨大な蘇鉄ならば、江戸時代より前に植えられたように思える。

 この蘇鉄は、雌株で、宝珠のような花をつける。また赤い実を落とすらしいが、実には毒があるので食べられない。

蘇鉄の花

 樹勢も強く、根本から五本の太い枝に分かれ、そこから更に無数の枝に分かれている。

 強大な生命力を感じさせてくれる大蘇鉄である。

蘇鉄の根本

枝分かれする蘇鉄

 あまりにも巨大であるため、多くの石柱が枝を支えている。

 蘇鉄の存在感が大きすぎて、寺院の参拝を忘れてしまいそうだ。

 大蘇鉄の奥に誓願寺の本堂がある。

本堂

 本堂には、弘法大師空海が祀られている。

本堂内陣

弘法大師

 境内には、「同行二人 有難や 行くも帰るも悩るも 我は大師と二人連なる」と刻まれた石碑が建っている。

同行二人の碑

 同行二人(どうぎょうににん)は、四国八十八箇所霊場巡りをする人が常に心に思い浮かべる言葉である。

 一人で遍路をしていても、常にお大師さんが離れずに一緒に歩いてくれているという意味である。

 私は、柳宗悦の「南無阿弥陀仏」を読んでから、念仏を唱えることの意味を知って、一時行住坐臥念仏を口ずさんでいた。

 念仏には、自分の人生を阿弥陀仏に任せるという意味がある。一度南無阿弥陀仏を唱えたら、自分の人生は自分の人生ではなくなる。阿弥陀仏に預けた人生になる。そうすると、気持ちが楽になり、むしろ目前に自由な境地が開けてくる気がする。南無阿弥陀仏は、かび臭い宗教的な言葉ではなく、自分から自分を解放する自由のための言葉なのである。

 ところが阿弥陀仏は、あくまで架空の存在である。架空の存在に自分の人生を預けるには、相当な空想力が必要になる。

 そこで真言宗の信徒である私は、南無阿弥陀仏の御名号の代わりに、同じような意味で南無大師遍照金剛という御宝号を唱えてみることにした。

 大師と遍照金剛は、空海のことである。弘法大師空海は、歴史上実在の人物である。伝説では、弘法大師は承和二年(835年)に高野山奥之院で生身のまま禅定に入り、現在も奥之院で生きたまま衆生のために祈り続けているとされている。今でも高野山の僧侶は、一日二回、奥之院に弘法大師の食事を運んでいる。阿弥陀如来よりは、弘法大師に自分の人生を預けると思った方が、イメージしやすい。

 ところが、御宝号を唱えてみて、気づいたことがある。仏教は、この宇宙に存在すると思われている全てのものに実体がないことを説いている。真言密教弘法大師もそう教えている。

 南無大師遍照金剛と唱えて、自分の命をお大師さんに預けようと思ったところで、預ける自分の人生にはそもそも実体がなく、預けられる弘法大師にも実体がないのである。

 そう考えてみて、同行二人には、別の意味があることに気づいた。遍路を歩く自分もなく、一緒に歩いてくれるお大師さんも実はいないのである。遍路道も人の一生も、最初からないのである。そこに気づくことで、人は弘法大師の考えに近づくことになる。それが同行二人の真の意味であり、人生の実相である。

 だが、朝目を覚ますと、自分の周りには世界があるように見えるし、日々の仕事や自分の家族もあるように見える。

 本当はなにもない世界のなかで、現象として目の前に展開するかのように見える「人生」にどう処していくか、お大師さんはそれを自分で考えるよう教え諭してくれている気がする。