第二展望台から、鷲羽山山頂を目指した。
山頂と言っても、鷲羽山は低山で、山全体がなだらかである。そう苦労せずとも山頂に至ることが出来る。
鷲羽山は、全体が花崗岩で出来ている。山肌は花崗岩がむき出しになっている。遊歩道も、花崗岩が風化して生じた真砂土に覆われている。花崗岩の表面も真砂土もざらざらしていて滑りにくい。非常に歩きやすい。
しばらく遊歩道を歩くと、鷲羽山ビジターセンターがある。
鷲羽山ビジターセンターのテラスからは、瀬戸内海の景観を堪能することが出来る。
また館内には、瀬戸大橋の模型や、瀬戸内海が陸地だったころに生息していたナウマンゾウの化石などが展示されている。
鷲羽山ビジターセンターの西側に、鷲羽山の山頂である鍾秀峰(しょうしゅうほう)が聳えている。
鍾秀峰の名称は、昭和6年にここを訪れたジャーナリストの徳富蘇峰が、「瀬戸内海の美景を全てここに集めている」という意味で命名した名である。
花崗岩が集まった鍾秀峰には、樹木が生えておらず、360度周囲の風景を見渡すことが出来る。鍾秀峰は、鷲羽山の山頂展望台とも呼ばれている。
ここから南東を眺めれば、眼下に鷲羽山ビジターセンターがあり、釜島、松島やその先の讃岐の山々が見える。
北を眺めれば、児島の市街が見下ろせる。
南には、瀬戸大橋がある。カメラをズームにすれば、橋上を走る車を捉えることが出来る。
西を眺めれば、下津井の町並みがある。
島と岬に守られた下津井は、帆船の時代には、風待ち、潮待ちの港として機能した。
江戸時代には、西国航路の要港であり、江戸時代後期に整備された四国街道の終点でもあった。
鍾秀峰から下りて、遊歩道を西に歩くと、石室が露出した鷲羽山古墳群の3つの古墳を見学することが出来る。
山頂側にあるのが鷲羽山第三古墳である。
山頂付近にあった花崗岩をそのまま石室に使ったようだ。
鷲羽山古墳群は、6世紀から7世紀にかけて築かれたものである。
横穴式石室を備えた円墳が主に築かれたが、ほとんど風化していて、円墳自体は残ってない。
第三古墳から遊歩道を西に歩くと、途中に第二古墳があり、最後に第一古墳がある。
第一古墳の西側に、一本松展望台がある。ほぼ真下を瀬戸大橋が通っている。
カメラをズームすると、讃岐平野の円錐形の秀麗な山々が見えた。
かつて金毘羅大権現に参るために、四国街道の終点である下津井から参拝者が船に乗って讃岐に渡った。
讃岐の山々を遠目に見ていると、金毘羅詣りをした江戸時代の人々も、この地から四国をこのように望んだのだと思い浮かべた。