安政五年(1858年)に締結された日米修好通商条約から、今に至る日米関係は始まった。
日本は幕末にアメリカ以外のヨーロッパ各国とも条約を結んだ。それらの条約に基づいて、慶応三年(1868年)に神戸港が開港した。
神戸市中央区海岸通にある神戸メリケンビルは、大正7年に建てられたビルであるが、そこはかつてアメリカ領事館があった場所である。
神戸メリケンビルは、なかなか重厚なビルである。かつては日本郵船株式会社が所有し、神戸郵船ビルと呼ばれていたが、平成31年4月に日本郵船がビルを売却し、日本港運株式会社が購入した。それ以降、名称が神戸メリケンビルに変わった。
ビルの東側面に、かつてここにアメリカ領事館があったことを示す記念プレートがある。
日本とアメリカとの歴史には、対立もあり、友情もあり、複雑で紆余曲折があるが、日本の発展にここまで影響を及ぼした二国間関係はない。
神戸港が開港した頃、アメリカ領事館の南側に小さな突堤があり、その先に浮き桟橋があった。
近くにアメリカ領事館があったことから、人々はその桟橋をアメリカ桟橋と呼んだ。それがいつしか訛ってメリケン桟橋と呼ばれるようになった。
その後、神戸港が世界的な貿易港に発展するにつれて、突堤は大型化され、メリケン波止場と呼ばれるようになる。
神戸メリケンビルの道路を挟んだ南側歩道上は、メリケン波止場があった場所だが、そこに記念碑が建っている。
大東亜戦争中には、メリケンという敵国アメリカを思わせる名称が忌み嫌われ、万国波止場と呼ばれたが、戦後に元の名に戻った。
上の写真は、神戸海洋博物館に展示してあった昭和50年ころの神戸港の模型だが、写真中央の小さな波止場がメリケン波止場で、赤色の神戸ポートタワーが建っている埠頭が中突堤である。
私は子供のころ、再放送された「ウルトラセブン」を好んで観たが、第14、15話「ウルトラ警備隊西へ」(昭和43年1月放映)の回で、セブンが強敵である宇宙ロボット・キングジョーと戦った場所が、艀の浮いているあたりであった。
私は子供心にこのキングジョーが大好きで、キングジョーの超合金を夢にまで見た。
セブンとキングジョーが戦ったころの神戸港は、丁度上の模型のような姿をしていた。
昭和62年に、メリケン波止場と中突堤の間が埋め立てられ、市民の憩いの公園・メリケンパークが完成した。
メリケンパークの周辺には、神戸ポートタワー、神戸海洋博物館、ホテル・オークラがあり、中突堤の先には神戸メリケンパークオリエンタルホテルがある。
神戸ポートタワー、神戸海洋博物館、ホテル・オークラ、神戸メリケンパークオリエンタルホテルがライトアップした時の夜景の美しさは、言葉に尽くせぬほどである。
メリケンパーク北側を通る浜手バイパスを夜間に走行すると、神戸を代表するこの夜景を見ることが出来るが、海上から眺めたら、また格別の美しさだろう。
神戸メリケンパークオリエンタルホテルの脇の埠頭に接岸している船は、神戸港沖を運行するクルーズ船、ルミナス神戸2である。この船は船上レストランでもあり、神戸港の夜景を眺めながら食事を楽しむことが出来る。
私が訪れた時は、神戸ポートタワーは改修工事中であった。
神戸ポートタワーは、昭和38年に竣工した高さ108メートルの塔で、鼓を長くしたような構造に特徴がある。
現在は耐震工事中で、令和5年にオープンするようだ。
神戸ポートタワーは、まだ建ってから60年にもならないが、国登録有形文化財に指定されている。いずれ昭和の名建築の一つに数えられるようになることだろう。
神戸港は、良港として古代からの長い歴史を誇っている。歴史があるだけでなく、貿易立国日本の発展を担う神戸港は、今現在も休むことなく忙しく働いている。
メリケンパークは、そんな神戸港の顔とも言うべき場所である。貴婦人のいで立ちのようなその美しい姿に、乾杯したい気分になった。