宇野港 鳴滝園

 明治43年国鉄宇野線が開通して、宇野と高松を結ぶ連絡船が就航した。

 それ以降、昭和63年に瀬戸大橋が開通するまで、本州から四国への玄関口だったのは、岡山県玉野市宇野港だった。

 かつて、宇野港から高松港まで片道約1時間の宇高連絡船が就航していた。

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宇野港

 私も何度か宇高フェリーを利用したことがある。1時間の航海というのは、時間設定としては絶妙だった。飽きないで航海気分を味わうことが出来る、丁度良い時間だった。

 平成10年2月20日に、私はR32スカイライン香川県に渡っていたが、四国に渡ってから、坂出送電塔倒壊事件が起きて、瀬戸大橋が通行止めになった。

 私は瀬戸大橋で本土に帰るのを諦め、急遽予定を変えて宇高フェリーに乗って帰った記憶がある。

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直島行フェリーと小豆島行フェリー

 私が宇高フェリーに乗ったのは、この時が最後だった。瀬戸大橋が開通してからも、瀬戸大橋の通行料金が高かったため、高松行のフェリーはしばらく存続していた。しかし、近年通行料金が大幅値下げとなって、各フェリー会社は続々とフェリーの運航を停止した。令和元年に、最後まで残っていた四国フェリーが撤退した。

 現在の宇野港には、小豆島、直島、豊島行のフェリーが就航している。

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フェリーターミナル

 フェリー乗り場の辺りを散策すると、所々にアート作品が飾ってある。最近、直島のように、瀬戸内海の島々が現代アートで島おこしを行っているが、その影響であろうか。

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漂流物で造られたアート作品

 海岸に漂着したプラスチックごみで造られた魚のオブジェなどがある。

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 宇野港を散策しながら、今後の旅のことを考えた。

 私の史跡巡りは、昔の行政単位である国を基準に行っている。播磨国の史跡巡りを終えると、播磨に隣接する国への道が開けた。

 このペースで行けば、来年には、備前国の史跡を踏破できるだろう。備前を制覇すれば、備中国讃岐国への道が開ける。

 讃岐の史跡巡りは、まずは小豆島や直島、豊島といった島嶼部から始まるだろう。

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フェリー乗り場から望む瀬戸内海

 海を眺めながら、今後の史跡巡りの予感に心が踊った。

 さて、宇野港から西に2キロメートルほど行くと、明治末期に児島郡藤戸の大地主だった星島謹一郎が造った鳴滝園という庭園の跡がある。

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鳴滝園の入口

 鳴滝園には、巨岩が散在し、小さな滝が落ちる。

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鳴滝園入口近くの巨岩

 鳴滝園には、星島謹一郎の息子の友人だった竹久夢二も訪れたことがあるようだ。

 鳴滝園の入口には、かつて中国陶枕収蔵館があったが、今は閉館となっているようだ。

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中国陶枕収蔵館の看板

 今は、中国陶枕収蔵館の看板だけが残されている。

 かつて中国陶枕収蔵館だったと思われる建物は、その後蕎麦屋になったようだ。

 私が訪れた時は閉まっていた。

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旧中国陶枕収蔵館

 巨岩の上に建てられた旧中国陶枕収蔵館を潜ると、目の前に小さな滝と沢が見えてくる。

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滝と沢

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沢を泳ぐ川魚

 沢の中を川魚が泳いでいる。

 滝の側には、懸造の数寄屋建築が建っている。今となっては使われていないだろう。

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鳴滝園の滝

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懸造の数寄屋建築

 懸造の数寄屋建築を過ぎると、道は藪の中に消えて、これ以上進めなくなった。

 かつての名庭園も、訪れる人が絶えて、藪の中に埋もれてしまいそうな風情である。

 鉄道や高速道路の発展で、フェリーが運航休止になった例は全国で耳にする。

 交通状況の変化で、都市の消長も変化する。船がまだ交通の主力だった明治時代には、新潟が日本有数の都会だった。

 今後脱炭素という世界的潮流に乗って、自動車は電動化への道を歩むだろうが、単位や値段当たりのエネルギー量で、石油に勝てるエネルギー源は地球上にない。これからの人類は、安いエネルギーを敢えて使わずに生活するわけだから、自動車だけでなくあらゆるコストが確実に上がっていく。自動車の運用コストが上がると、鉄道が再び脚光を浴びるかも知れない。そうなると、町の景色も変わって来るだろう。

 20世紀後半から21世紀前半の人類が豊かに生活できたのは、安い石油をふんだんに使えたということに尽きる。安い石油を使わなくなれば、人類の生活水準は下がる。

 技術革新で、安い石油がなくても豊かに暮らせるようになるかも知れない。いずれにしろ、今の人類は、大きな分岐点に差し掛かっている。