福良から西に走り、大鳴門橋を観に行った。
大鳴門橋は、昭和60年6月に開通した、鳴門海峡上に架かる吊り橋である。
鳴門岬の先端に、道の駅うずしおがあるが、道の駅うずしおが現在改装工事中で、そこまでの道が通行止めになっていた。
鳴門岬の途中にある、今年3月にオープンした、「うずまちテラス」という展望所から大鳴門橋を見学した。
うずまちテラスには、あわじ島バーガーの店があり、お客さんが行列を作っていた。
テラスの彼方には、大鳴門橋が見えて、四国の大地が目に入る。
大鳴門橋は、全長1629メートルで、2階建て構造になっている。
上部は片側2車線の自動車専用道路で、下部は新幹線規格の鉄道を通すことが出来るように設計されている。
大鳴門橋が建設された当時は、将来ここに新幹線を通すことが計画されていたのだろう。
大鳴門橋が架かる鳴門海峡は、播磨灘と紀伊水道を結んでいるが、播磨灘と紀伊水道は干満の時刻が逆になるので、干満時には約1.5~2メートルの水位差ができる。
そのため、平常で時速13~15キロメートル、春秋の大潮の時には最大18~20キロメートルという潮流が生まれる。
更に、鳴門海峡は水深が約200メートルと深い。
この潮流と水深、海底の独特の地形という条件が合わさって、平常時で直径約15メートル、最大時で直径約30メートルの渦潮が出来る。
私が訪れた時も、播磨灘側から紀伊水道側に向けて、白い水脈が走っていた。播磨灘から紀伊水道への潮流が発生しているのだろう。
うずしおテラスから、東に向かい、山の中腹にある「うずの丘 大鳴門橋記念館」に赴いた。
ここもまた、あわじ島バーガーの店に行列が出来ていた。駐車場も車で満杯であり、駐車場に入れない車の行列が出来ていた。
私は手前の第二駐車場に車をとめて、歩いて上がった。
大鳴門橋記念館には、土産物屋や絶景レストランがあるが、内部にうずしお科学館という見学施設があった。
うずしお科学館は、子供向けの展示施設だったので、入館はしなかった。
その手前の展示スペースを少しだけ見学した。
春秋の大潮時には、鳴門の渦潮は、世界最大の直径約30メートルの大きさになるという。
大鳴門橋記念館からは、遠く四国の山並みを眺めることが出来る。
左手を見ると、遠くにうっすらと徳島市の街並みが見える。我が史跡巡りも、徳島市が見えるところまで来たのだ。
その後、南あわじ市伊毘にある沖ノ島を見に行った際、伊毘の海岸から大鳴門橋を眺めた。
こうして見ると、淡路と阿波の間は指呼の間である。
瀬戸内海は、約7万年前~約1万年前まで続いたウルム氷期には、陸地であったという。
約1万年前に氷河が溶けて、海水面が上昇し、鳴門海峡を通って紀伊水道から海水が陸地だった瀬戸内海に入り込み、瀬戸内海が出来たという。
地球の歴史から見れば、1万年前は最近である。
今のような陸と海も、案外最近になって出来上がったものなのである。