メリケンパーク 後編

 昭和62年に完成したメリケンパークは、平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災で大きな打撃を受けた。

 メリケンパークの東側は、元々メリケン波止場だったが、震災で元メリケン波止場の岸壁は海に傾き、陸地のコンクリート舗装が陥没するなどした。

 この震災の被害状況を後世に伝えるため、崩れた岸壁を保存した「神戸港震災メモリアルパーク」が、メリケンパーク東側に造られた。

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神戸港震災メモリアルパーク

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神戸港震災メモリアルパーク全景

 メモリアルパークは屋外にある。震災で崩れたメリケン波止場の岸壁が、新たな岸壁で囲まれ、保存公開されている。

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崩壊した岸壁

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 我々は、コンクリートで固められた地面は堅固なものだと思いがちだが、強烈な地震の揺れの前では、こんなにも脆いものなのだ。

 阪神淡路大震災は、もう27年前のことになる。これから毎年震災を経験した世代が物故者となり、その代わり震災後に生まれた世代が育っていく事だろう。こうして震災は徐々に歴史上の出来事になっていく。

 後の世代に防災意識を維持してもらうためにも、災害の記憶は風化させない方がいいが、どうしても生の記憶は、経験者が死去することによって失われる。

 災害の記憶をどういう形で残すか、難しい問題だ。

 神戸港震災メモリアルパークの説明板には、明治から昭和初期にかけてのメリケン波止場の写真が掲示してあった。

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明治中期のメリケン波止場

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明治末期のメリケン波止場

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昭和4年ころのメリケン波止場

 明治末期のメリケン波止場と、昭和4年のメリケン波止場の写真を見比べると、係船柱と水面に降りる階段の位置関係が同じである。

 更にメモリアルパークに保存されている岸壁の係船柱と階段の位置関係も、明治末期や昭和4年の写真の位置関係と同じに見える。

 つまり、メリケン波止場の岸壁は、明治末期から平成7年まで、同じものだったのだろう。

 震災がなければ、旧メリケン波止場の岸壁は造り直されていたかも知れない。

 皮肉なことだが、神戸港震災メモリアルパークが出来たおかげで、明治時代からのメリケン波止場の岸壁が半永久的に保存されることになったようだ。

 神戸港震災メモリアルパークの東側には、海上保安庁の巡視艇が停泊していた。

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巡視艇あわぎり

 メリケンパークのすぐ近くの神戸市中央区海岸通に、兵庫県日本海側を除く)、大阪府和歌山県徳島県高知県の沿岸を管轄する第五海上保安本部がある。

 日本の海の安全と海洋権益を守る海上保安庁には、敬意を表したい。

 以前にも一度書いたことがあるが、物を輸送するのに最もコストが低いのは、船舶での輸送である。大型の船で運ぶほどコストは下がる。大型の船が停泊できる港は、国の発展にとって重要な存在である。

 大陸の内陸部にある国は、道路事情や鉄道事情が悪ければ、それだけで輸送コストがかさみ、輸入品も輸出品も高くなってしまう。

 周囲が海に囲まれた国は、それだけで経済発展に適した条件を持っていることになる。

 海に囲まれた細長い島である日本列島が、実は豊かになる条件に恵まれていることを、日本の歴史の授業の一番最初に教えるべきだと思う。

 海と港と船は、日本人にとって、忘れてはならない大切なものである。