加藤弘之生家跡を後にし、東に歩くと、曹洞宗の寺院、梵唱山吉祥寺がある。
この寺は、裸婦像で有名な洋画家伊藤清永の生家として知られている。伊藤はこの寺の住職の三男として、明治44年に生まれ、平成13年に死去した。
山門を潜ると、左手に総二階の和風建築が建っている。伊藤が生まれたころから建つ建物だろうか。
1階の縁側には、安楽椅子が置かれている。こんな椅子に座りながらお茶を飲み、庭を眺め、読書する生活は理想だろう。
伊藤は、生家でもあった吉祥寺本堂に仏画を奉納している。
本堂の仏画は非公開である。見学は出来なかった。
吉祥寺から出石の中心にある辰鼓楼まで歩いた。
辰鼓楼は、出石を象徴する建物である。出石の観光案内には、必ずと言っていいほど辰鼓楼の写真が登場する。
辰鼓楼は、廃城となった出石城三の丸大手門石垣を利用し、明治4年の廃藩置県の直前に建てられた。
名称の「辰」は時間、「鼓楼」は太鼓を叩くやぐらを意味する。高さ約13メートル、内部は4階建ての構造である。
当初は最上階から太鼓を鳴らして時間を知らせていた。
明治14年に出石で開院していた医師池口忠恕が大時計を寄付してからは時計台になった。
池口は、時計を寄付するに当たり、青年2名を時計作りの修行のため東京に派遣したという。
今の時計は電気式である。
同じく明治14年に時計が設置された札幌時計台と共に、日本最古の時計台として親しまれている。
誰も気にしていなかった何気ない建物でも、時が経てば町や地域を代表する建物になる。
辰鼓楼の周囲には観光客がひしめき、皆辰鼓楼をバックに記念撮影をしていた。梅雨入り前の抜けるような青空と有子山を背景にした辰鼓楼は、凛とした美しさを保っていた。