因幡

三角山神社 前編

用瀬の町のどこからでも目に入るのが、山頂に三角(みすみ)山神社が建つ三角山(頭巾山)である。 三角山は、標高約508メートルで、頭巾(ときん)山という別名がある。その名の通り、山頂付近が頭巾を被った頭のような形をしている。 麓から山容全体を写し…

もちがせ流しびなの館

以前の因幡の旅で、宿場町の用瀬(もちがせ)を訪れたが、前回訪れることが出来なかった史跡に行くため、再度用瀬を訪ねた。 私が再度用瀬を訪れたのは10月17日で、残念ながら大雨の日であった。この日、寒冷前線が日本列島を覆い、気温が一挙に低下した。夏…

用瀬宿

鳥取市用瀬(もちがせ)町用瀬は、江戸時代には宿場町であった。 用瀬宿は、智頭宿から鳥取城に向かった場合の次の宿場町である。当時の戸数は約280戸、人口は約1000人を数えたという。 本陣、牢屋、制札場が設けられ、十数匹の駅馬も用意されていた。 用瀬…

熊野神社遺跡 後編

小さな鳥居を過ぎて参道を行くと、道が二手に別れている。 左に行くと、燈明の塔と呼ばれる巨石の上に載った石塔がある。 燈明の塔への道 燈明の塔と巨石 燈明の塔は、二つに割れた巨石の上に載っている。 ここではこの岩の間を通ることで、今までの人生で積…

熊野神社遺跡 前編

「鳥取県の歴史散歩」によれば、佐治四郎重貞が根拠地とした場所の一つが、鳥取市佐治町大井にある熊野神社遺跡であるという。 どんな場所か分らぬが、取り敢えず行ってみることにした。 訪れてみると、今まで見たこともないような不思議な史跡であった。 熊…

佐治谷

用瀬(もちがせ)の宿場町から西に向かって佐治川沿いを走ると、俗に佐治谷七里と呼ばれる東西に細長い佐治町に入る。 佐治川 佐治谷には、佐治川沿いに小さな集落が続いている。この地を開拓したのは、鎌倉時代に佐治谷の地頭職になった武家の佐治氏である…

瑠璃山東光寺

犬山神社から北上し、鳥取市用瀬町古用瀬にある真言宗の寺院、瑠璃山東光寺を訪れた。 瑠璃山東光寺 東光寺は、和銅元年(708年)に行基菩薩が開基したと伝えられている。当初の寺号は、瑠璃山長福寺といった。 その後2度の火災に遭ったが、鳥取藩主池田光…

鳥取市 犬山神社

唐櫃城跡から智頭の町に戻り、そこから国道53号線を北上した。 鳥取県鳥取市用瀬(もちがせ)町宮原にある犬山神社を訪れた。 私が鳥取市内の史跡を訪れたのは、これが初めてである。 犬山神社参道 犬山神社は、標高905メートルの篭山の北北東の尾根上にある…

唐櫃城跡

香音寺城跡から北上し、鳥取県八頭郡智頭町大字木原にある唐櫃城跡を訪れた。 唐櫃城跡 唐櫃城跡案内板 唐櫃城跡は、標高299メートルの岩谷山の山上にある。とは言え、元々このあたりの標高が高いので、平地との実際の高低差は約60メートルほどである。 国道…

光恩寺跡 香音寺城跡

那岐神社からJR因美線那岐駅前に戻った。 那岐駅の東側にはトンネルがある。そのトンネルのある山上に、かつて光恩寺という禅寺があったという。 光恩寺のあった山 因美線那岐駅 那岐駅の木製改札 この那岐駅は、駅舎内に診療所があり、集落に住む住民の拠り…

智頭町 極楽寺 那岐神社

私が住む兵庫県に、新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が発出されたのが8月20日である。 その前日の8月19日に、因幡の史跡巡りをした。 前回の美作の史跡巡りも台風で雨降りしきる中だったが、今回も雨の中の史跡巡りとなった。 まず訪れ…

宇谷山豊乗寺

上板井原集落から再び智頭宿に下りてきた。智頭宿から西にしばらく行った篭山の山麓にある真言宗の寺院、宇谷山豊乗寺(ぶじょうじ)を訪れた。 地名で言えば、鳥取県八頭郡智頭町新見にある。 豊乗寺 豊乗寺は、嘉祥年間(848~851年)に、弘法大師空海の実…

上板井原集落

石谷家住宅の見学を終え、智頭宿を散策した後、スイフトスポーツで鳥取県八頭郡智頭町市瀬板井原にある上板井原(かみいたいばら)集落を目指して走る。 上板井原集落は、牛臥山の北側の山腹にある集落である。標高約430メートル、智頭の町からでも約130メー…

石谷家住宅 その5

2階の廊下を洗面室と反対の方向に行くと、突き当りに表の間がある。 表の間に向かう 表の間 表の間の床柱と床脇 表の間は、山で樹を守る仕事をしていた山番たちの新年会に使われた部屋だという。 この表の間の欄間の彫刻が、山陰らしくて面白かった。 隠岐…

石谷家住宅 その4

石谷氏庭園をしばし眺めてから、石谷家住宅の2階へ上がる。 ある意味で、この建物の最大の特色は、2階へ上る階段にある。 洋風螺旋階段 石谷家住宅は、典型的な和風建築だが、階段は洋風の螺旋階段である。あくまでも洋風の木造階段で、和テイストを色濃く…

石谷家住宅 その3

和室応接の見学を終え、奥にある新建座敷への畳敷きの渡り廊下を行く。 畳敷きの渡り廊下 この渡り廊下の左手に、江戸時代の書家・市河米庵の書が書かれた屏風がある。 市河米庵の書 市河米庵は、安永8年(1779年)から安政五年(1858年)を生きた書家であ…

石谷家住宅 その2

主屋の土間から一段上がると囲炉裏の間がある。 囲炉裏の間 囲炉裏の間の大黒柱と鴨居の梁は、ケヤキ材である。 囲炉裏の間は、石谷家家族の内玄関でもあり、出入りの人達と家人との情報交換の場でもあった。 囲炉裏の間 見上げると、赤松の梁組があるが、こ…

石谷家住宅 その1

最近書店で、アレックス・カーという方が書いた、「ニッポン巡礼」(集英社新書ヴィジュアル版)という写真が豊富に載った本を手に取って読んでみた。その中で、鳥取県八頭郡智頭町智頭の石谷家住宅のことが紹介してあった。 石谷家住宅 アレックス・カー氏…

智頭宿 後編

智頭宿と言えば石谷家住宅だが、その近辺にも風情ある民家が立ち並んでいる。 智頭宿の民家 智頭宿の庄屋であった石谷家は、塩屋という屋号を持っていた。 塩屋本家の石谷伝三郎の次男吉兵衛が、天保年間(1831~1845年)に別家を立てて店を起こし、塩屋出店…

智頭宿 前編

智頭宿は、江戸時代に宿場町として栄えた町である。 鳥取藩池田家の参勤交代の行列が江戸に往来する際は、この町の本陣に杖を留めた。 智頭宿 鳥取城下から智頭宿に至れば、ここから道は二股に分かれる。現在の国道373号線を通って志戸坂峠を越えて播州姫路…

智頭町 諏訪神社

芦津渓谷の散策を終え、宿場町智頭に赴く。 先ずは智頭宿の鎮守と言ってもいい諏訪神社を紹介する。諏訪神社は、智頭の町の北側に聳える牛臥山の麓にある。 諏訪神社参道入口 智頭を代表する建造物、石谷家住宅の裏側から諏訪神社の参道が始まる。 諏訪神社…

芦津渓谷

虫井神社から北に行き、途中右折して北股川沿いに車を走らせる。北股川に沿って断崖がそそり立ち、淵や瀬、滝が連続する芦津渓谷を訪れた。鳥取県八頭郡智頭町芦津にある。 芦津渓谷は、氷ノ山後山那岐山国定公園の一部である。 芦津渓谷に沿って、中国自然…

旧智頭町立山形小学校校舎 虫井神社

志戸坂峠から国道373号線を北上し、山形郵便局の手前を右折して、芦津渓谷方面に走る。 右折してしばらく行くと、右手に古い小学校の木造校舎が見えてくる。今は廃校となった、旧智頭町立山形小学校の校舎である。 地名で言うと、鳥取県八頭郡智頭町郷原にあ…

志戸坂峠

私の住む兵庫県に新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が発令されたのが、今年の4月25日である。 その前日の4月24日に、因幡の史跡巡りをした。暫くその日に訪れた史跡の記事を書いていきたい。 今日紹介するのは、かつて鳥取藩池田家の参…

八頭町東部の史跡

若桜町を後にして、鳥取方面に走ると、八頭(やづ)郡八頭町に入る。 八頭町用呂にあるのが、国指定重要文化財の矢部家住宅である。 矢部家住宅 矢部氏は、元々駿河の武家であったが、鎌倉時代初頭の梶原景時の変での功績で、矢部暉種(あきたね)が因幡国20…

若桜の寺院2

西方寺を出て寺通りを更に南に歩く。 浄土宗の寺院、寿覚院がある。 寿覚院 本堂 本堂向拝下の彫刻 寿覚院の元となる寺は、浅井山中腹の寺谷という地にあったらしいが、慶長九年(1604年)に、若桜鬼ヶ城主・山崎家盛の妻が帰依し、寺を若桜宿古寺ノ元に移し…

若桜鉄道 若桜の寺院1

鳥取県八頭郡若桜町の若桜駅から、八頭郡八頭町の郡家(こおげ)駅までを通る若桜鉄道は、かつては国鉄の路線だったが、国鉄の民営化に伴い私鉄となった。 若桜鉄道が開通したのは昭和5年だが、平成20年には駅舎や鉄橋など、沿線全体の施設が国登録有形文化…

若桜神社

龍徳寺から歩いて少し西に行ったところに鎮座するのが、若桜の氏神である若桜神社である。 若桜神社鳥居 若桜神社の創建年代は不詳だが、元々は鬼山の麓の三倉集落にある八兵衛谷に祀られていたそうだ。 正治二年(1200年)に矢部氏が領主として赴任した際、…

萬祥山龍徳寺

若桜鬼ヶ城から下りて、麓にある萬祥山龍徳寺を訪れる。 ここは曹洞宗の寺院で、関ヶ原戦後に若桜城主となった山崎家盛の菩提寺である。 萬祥山龍徳寺 寺伝によれば、初世の和尚が、現鳥取県八頭郡八頭町用呂の千石岩の下に庵を結んだのが寺の発祥であるとい…

若桜鬼ヶ城跡

若桜の町の背後に聳える鶴尾山は、別名鬼山と言う。若桜町歴史民俗資料館から、その全貌を視界に収めることが出来る。 鬼山 鬼山の山上に、国指定史跡・若桜鬼ヶ城がある。 財団法人日本城郭協会は、日本100名城、続日本100名城を指定している。 今までのブ…