和室応接の見学を終え、奥にある新建座敷への畳敷きの渡り廊下を行く。
この渡り廊下の左手に、江戸時代の書家・市河米庵の書が書かれた屏風がある。
市河米庵は、安永8年(1779年)から安政五年(1858年)を生きた書家である。父市河寛齋、林述齋、柴野栗山といった儒者に学んだ。
私は、森鷗外が晩年に著した史伝が好きだが、「澁江抽齋」の中には、鷗外が澁江抽齋を調べる過程で浮かび上がった膨大な数の同時代の文化人が顔を出す。
その中に市河米庵の名もあった。鷗外史伝の世界に浸るようになって、江戸時代後期の儒者や漢詩人の世界を身近に感じるようになった。
ここで市河米庵の書に出会って、鷗外史伝の世界に迷い込んだ気がした。
この廊下の突き当りに、仏間がある。
仏間は、旧主屋にあったものを、改築の際に曳家をしてここに移築したものらしい。この真言宗の仏壇には、見事な装飾が施されているが、江戸時代後期のものと言われている。
仏間は、昭和16年に新築された新建座敷につながっている。
新建座敷の前には畳敷きの廊下があり、廊下は中庭に面している。後で石谷家住宅のパンフレットを見て気が付いたが、この廊下の突き当りを左に行けば、江戸期に建てられた江戸座敷があったようだ。
見学時には気が付かず、見学することなく反転してしまった。
新建座敷は、国登録名勝の石谷氏庭園に面した明るい閑雅な座敷である。
天井材には奈良の春日杉、欄間や床柱には屋久杉が使われている。
床脇の床と違い棚、天袋板は、鮮やかな春慶塗である。
また壁紙は、和紙の袋貼りである。清楚な美しさを見せている。
床の間の天井の板も、複雑な木目である。銘木なのであろう。
書院甲板の木材からも、杢目が浮き出ている。これも銘木なのだろう。
床の間の前にある机は、中国風の彫刻が施された名品であった。
このような机を目の前にして、庭園を眺めながら、書き物や読書をする生活に憧れる。
新建座敷の縁側に面して国登録名勝の池泉庭園がある。
池泉庭園は、新建座敷、江戸座敷、茶室に面している。庭を眺めるが、静かである。
奥の茶室からの眺めが最も良いだろう。
庭を彩る植物は生きている。苔もそうだ。手入れを怠れば、苔は枯れ、雑草が生え、庭木も伸び放題で、庭の美しい眺めは維持できなくなる。
我々が普段生活している人間社会も、働いている人たちがさぼれば秩序も人の生活も景観も維持できなくなる。
今朝家を出てから家に帰るまで出会った職業人が、みんなさぼっていたら、到底自分は生きてはいけないと感じる。
庭の手入れと人間社会の維持は似たようなものだ。どんな仕事でも、人の生活を支えるのに必要なものだ。そう思えば、職業や身分に上下はないことに気づく。
静かな庭を眺めながら、そんなことを考えた。