智頭町 諏訪神社

 芦津渓谷の散策を終え、宿場町智頭に赴く。

 先ずは智頭宿の鎮守と言ってもいい諏訪神社を紹介する。諏訪神社は、智頭の町の北側に聳える牛臥山の麓にある。

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諏訪神社参道入口

 智頭を代表する建造物、石谷家住宅の裏側から諏訪神社の参道が始まる。

 諏訪神社と言えば、信州諏訪湖の周辺に祀られている諏訪大社が有名である。諏訪大社の御祭神の建御名方(たけみなかた)神は、出雲系の神である。

 今の皇室の祖先である高天原の神々(天津神たち)は、葦原中国(あしはらなかつくに)の主だった大国主神に国譲りを迫るため、武御雷(たけみかづち)神を地上に派遣した。

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諏訪神社境内入口

 大国主の息子の建御名方は、国譲りに反対し、武御雷に戦いを挑むが敗れる。負けた建御名方は、這う這うの体で信州諏訪湖の辺りまで逃げていく。

 建御名方は、追って来た武御雷に、以後天津神に反抗せず、諏訪から外に出ないことを誓約して、命を助けられる。

 大国主は、自分を日本一の社(出雲大社)に祀ることを条件に、国譲りを承諾する。満を持して高天原から邇邇芸(ににぎ)命が葦原中国に降臨し、その子孫の天皇家が日本に君臨することになる。

 大国主は、日本の表の支配は皇室に譲り、出雲大社に祀られることにより、日本の幽界の支配者になる。

 この国譲り神話に登場する建御名方を祀るのが諏訪大社である。もしこの神話が何らかの歴史的事実を伝えているとしたら、大和勢力に敗れた出雲勢力の一部が、信州諏訪湖周辺まで逃亡したことがあったのかも知れない。

 弘安元年(1278年)、諏訪大社からこの地に建御名方神が勧請され、諏訪神社が創建される。

 諏訪から出ないことを誓った建御名方が、勧請されて日本全国の諏訪神社に祀られているのが面白い。

 諏訪神社の境内に入ると、楓の古木が多数生えている。

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境内の楓

 諏訪大社の神紋は楓である。本社の神紋にちなんで、諏訪神社の境内に植えられたようだ。

 智頭の諏訪神社が建てられた弘安年間と言えば、蒙古帝国軍が日本に襲来した時代だが、この諏訪神社にも敵国調伏の祈りが捧げられた。

 元弘の変では、隠岐から脱出した後醍醐天皇が、鎌倉幕府討滅をこの社に祈願したとされる。

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拝殿

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 天正十一年(1583年)、信長の後を継いで全国制覇に乗り出した秀吉の軍勢が、近隣の淀山を攻撃した際の兵火で、社殿は焼失する。

 江戸時代には、鳥取藩主池田家に崇敬され、天保三年(1832年)には本殿が再建され、明治37年(1904年)に拝殿、幣殿、釣殿が改築される。

 ところでこの神社で驚いたのは、小さいながら凝った彫刻が施された本殿である。

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本殿

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 丹波の中井権次一統とはまた別の、透かし彫りに優れた彫刻である。

 信州の諏訪大社で有名なのは御柱祭だが、この諏訪神社でも天明二年(1782年)に発生した智頭宿の大火以来、6年ごとの4月酉の日に、御柱祭が行われている。

 本殿の四隅に、地元の杉の巨木で作った柱4本を建立する祭りである。

 この後見学した石谷家住宅の蔵の中には、この御柱祭の様子を象った紙人形が展示してあった。

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御柱祭の様子

 神様に柱を捧げる喜びが紙人形からも感じられる。

 日本では、縄文時代から木の柱を神の依り代(よりしろ)として尊崇する風習がある。

 伊勢神宮正殿の床下中央にある心御柱は、古来から神聖視されてきた。心御柱の上に、御神体八咫鏡が奉斎されているとも言われている。

 この柱が皇祖神天照大御神の依り代であるならば、正殿に囲まれて外から見えない心御柱は、日本国内で最高の聖地だろう。

 木の柱を聖なるものとして畏れ敬う風習は、縄文時代から現代までを貫いて存在し続ける、日本人の根幹にある自然への態度を現わしているように思われる。