三角山神社 前編

 用瀬の町のどこからでも目に入るのが、山頂に三角(みすみ)山神社が建つ三角山(頭巾山)である。

 三角山は、標高約508メートルで、頭巾(ときん)山という別名がある。その名の通り、山頂付近が頭巾を被った頭のような形をしている。

 麓から山容全体を写したかったが、山が霧に覆われていてそれもかなわなかった。後に三角山から景石城跡に向かう途中、山の上半分を写真に収めることが出来た。

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三角山

 舗装された三角山の登山道を歩くと、途中日蓮宗の最上山道場があり、そこからが本格的な山道になる。

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日蓮宗最上山道場脇の鳥居

 ここを過ぎると、左右に杉林が連なる山道になる。

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杉林と登山道

 しばらく行くと、巨岩の間に挟まれるように小さな祠がある。弁天社である。

 すぐそばを山から流れ出た清流が音をたてて流れている。弁才天は、水の神様でもあるため、ここに祀られたのだろう。

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弁天社

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 三角山には、このような巨岩があちこちにある。史跡巡りをしていて分かったが、山頂付近に巨石や巨岩のある山は、十中八九修験道の行場としての歴史を有している。

 この三角山も修験道の行場であった。山頂にある三角山神社の祭神は今では猿田彦大神だが、江戸時代までは峰錫(ほうしゃく)大権現という修験道の神を祀っていた。

 修験道の山は、昔はどこも女人禁制であった。この三角山も、戦前までは女人禁制で、麓に女性が参拝した女人堂が残っている。

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女人堂

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 女人禁制が守られていた当時は、女性はここまでしか登ることが出来なかった。
 女人堂の脇には、祭神を祀った社がある。かつて女性はここで祭神に祈りを捧げたのだろう。

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三角山神社

 女人堂の先の鳥居を抜けると、そこからはかつての神域である。

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三角山神社鳥居

 鳥居を潜り、雨の降りしきる中、山頂を目指した。

 ところで、三角山の山体は、花崗岩で出来ている。花崗岩は年月と共に風化が進んでもろくなる岩で、岩肌がざらざらしている。

 三角山の登山道のところどころで、その花崗岩が岩肌を露出している。

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登山道に露出する花崗岩

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 岩の表面がざらざらしているので、雨の中でも滑らずに登って行くことが出来る。また岩がもろいおかげで、岩自体を削って階段状に加工することも容易なのだろう。岩で出来た階段があちこちにある。

 しかし山道の傾斜が急なので、鎖やロープを伝って登って行かなければならない場所もある。

 そうやって登って行くと、中鳥居という場所に辿り着いた。

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中鳥居

 三角山と隣接した城山には、景石城跡という城跡がある。この中鳥居のある場所は、三角山の山頂にある三角山神社奥宮に至る道と、景石城跡に至る道の分岐点に当る。

 ここは、女人堂から三角山山頂までの行程の約三分の一に当たる。この中鳥居から先は、三角山神社奥宮の神域となる。 

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中鳥居

 ここから更に気を引き締めて登ることになる。そして山頂は、神域と呼ぶに相応しい場所であった。