唐櫃城跡から智頭の町に戻り、そこから国道53号線を北上した。
私が鳥取市内の史跡を訪れたのは、これが初めてである。
犬山神社は、標高905メートルの篭山の北北東の尾根上にある。
古代、朝廷に服属し、狩猟用の犬を飼いならしていた人たちを犬飼部と呼んでいた。因幡の犬飼部が住んでいたのが、この犬山神社の周辺であった。
今犬山神社が建つ山では、古代に犬を使った狩猟が行われ、犬山と呼ばれていた。
犬飼部は、犬山にお社を建てて、神様を祀った。これが犬山神社の創建とされる。
犬山神社の社叢は、椎林、樫林が占める自然林で、鳥取県指定天然記念物となっている。
この社叢を抜けて、つづら折りの道を登ると、犬山神社の社殿が現れる。
犬山神社の拝殿は、石州瓦が葺かれた、いかにも山陰という印象の建物だ。
「日本三代実録」によると、犬山神社は、元慶二年(878年)に第57代陽成天皇から位を授けられている。
「日本三代実録」は、「日本書紀」「続日本紀」「日本後記」「続日本後記」「日本文徳天皇実録」に続く、朝廷が編纂した正史の一つである。これら六つの日本の正史を総称して六国史(りっこくし)というが、六国史に載っている神社で、今も残る神社を、国史現在社と呼ぶ。
犬山神社も国史現在社として、古来から重視されてきた神社である。
犬山神社の祭神は、国常立(くにのとこたち)尊、大己貴(おおなむち)命(大国主神)、倉稲魂(うかのみたま)神、大山祇(おおやまづみ)神、保食(うけもち)神の五柱である。
大国主神は、出雲大社に祀られる神様だが、皇室が日本に君臨する前に日本の国土を開発し、民に医療や農業を教えた神様とされている。
神話では、因幡の白兎を助け、因幡の八上姫命と結婚したとされている。
大国主神は、多彩な能力と性格を持っており、それぞれの性格が六つの名で表される。
大国主神の猛く強い面は、葦原醜男(あしはらのしこお)神という名で呼ばれている。葦原は、日本の別名葦原中つ国のことで、醜男は、勇猛な男という意味だろう。
犬山神社は、かつてこの名を縮めた葦男(あしお)大明神と呼ばれていた。因幡の南側では最も重要な神社として、因幡葦男さんと親しみを込めて呼ばれていたそうだ。
犬山神社には、今ではその名前から愛犬を連れて参拝する人も多いそうだ。
古代の大和王権では、朝廷に服属する職掌集団を部民(べみん)と呼んでいた。犬飼部もその一つであった。
古代の部民制の名残を伝える神社が、こんな山中にひっそり残っているというのが、我が国の面白いところである。