龍峰山静泰院

ケレップ水制群の見学を終え、岡南大橋を渡って岡山市南区浦安本町にある臨済宗の寺院、龍峰山静泰院を訪れた。 静泰院は、かつて岡山市中区小橋町にあったが、昭和39年の新京極橋の架橋に伴い当地に移転した。 静泰院 山門 静泰院には、岡山藩初代藩主池田…

早良親王墓 浅野公園

昨日紹介した常隆寺は、延暦四年(785年)に薨去した早良(さわら)親王にゆかりのある寺であった。 かつてその早良親王の墓だったという場所が、淡路市仁井にある。だった、というのは、早良親王の遺体は、延暦十九年(800年)に、淡路の墓から大和国の八島…

岡山市 東山墓地 後編

地味な墓巡りの記事が続いているが、今回が最終回である。 野村尚赫の墓の東側に、明治期の岡山の国立銀行、第二十二国立銀行の頭取だった村上長毅(ちょうぎ)の墓がある。 村上家の墓所 村上長毅の墓 この人物の事績は、あまりよく知らないが、金融を通し…

岡山市 東山墓地 中編

大西祝の墓から東側は、ちょっとした高台になっている。 その高台の上にあるのが、池田長発(ながおき)の墓である。 池田長発墓 池田長発墓誌 池田長発は、天保八年(1837年)に幕府直参旗本家の池田長休の四男として江戸にて出生した。 長発は、備中国井原…

岡山市 東山墓地 前編

コロナ特措法に基づく兵庫県の緊急事態宣言が明けたので、久々に史跡巡りに出かけた。 今日は岡山市最大の墓地である東山墓地に眠る3名の人物の墓を紹介する。 東山墓地 東山墓地は、岡山市街の東にある平井山の上に広がる。地名で言えば、岡山市中区平井1…

宝積山能福寺 前編

札場の辻跡から西に約150メートル歩いた先に、天台宗の寺院、宝積山能福寺がある。 地名で言うと、神戸市兵庫区北逆瀬川町となる。 能福寺 能福寺は、伝教大師最澄の開基とされている。延暦二十四年(805年)、最澄が唐からの帰路に大輪田泊に上陸した。住民…

西月山真光寺

薬仙寺から北に歩き、橋を渡るとすぐ西側に時宗の寺院、西月山真光寺がある。住所で言うと、神戸市兵庫区松原通1丁目である。 真光寺 真光寺は、神奈川県藤沢市にある時宗総本山清浄光寺の末寺に当るという。 ここは、遊行僧一遍上人の示寂の地と言われ、一…

金剛山宝満寺 源平勇士の墓

神戸市長田区東尻池町2丁目にある金剛山宝満寺は、臨済宗の寺院である。 寺伝によれば、大同三年(808年)に当地を訪れた弘法大師空海が開山したという。 金剛山宝満寺 当初は、現在の神戸市兵庫区和田山通の辺りに寺があったとされるが、治承四年(1180年…

平忠度の腕塚・胴塚

私が「平家物語」を読んで、最も忘れがたい逸事だと思ったのは、平家の都落ちの時、平薩摩守忠度(ただのり)が、和歌の師・藤原俊成を訪れた場面である。 平忠度は、平清盛の弟で、文武両道を達成した武将である。武芸に秀でる一方で、風流を解し、当時朝廷…

北向八幡神社 那須与一墓所

妙法寺から南東に数百メートル車を走らせると、道を挟んで北向八幡神社と那須与一墓所が向い合せで建っている。 地名で言うと、ここもまだ神戸市須磨区妙法寺になる。 那須与一は、下野国出身の武者で、源平合戦の折に、源義経軍に従軍した弓の名手として知…

誕生寺 その3

誕生寺は、天正六年(1578年)に、岡山城主宇喜多直家の軍勢に襲撃され、御影堂が焼け落ちた。 そのような法難が二度と起こらないように、延享二年(1745年)に誕生寺守護仏として守護大仏が開眼供養された。 作者は梵鐘職人の名人、大谷相模掾藤原正次であ…

若桜鉄道 若桜の寺院1

鳥取県八頭郡若桜町の若桜駅から、八頭郡八頭町の郡家(こおげ)駅までを通る若桜鉄道は、かつては国鉄の路線だったが、国鉄の民営化に伴い私鉄となった。 若桜鉄道が開通したのは昭和5年だが、平成20年には駅舎や鉄橋など、沿線全体の施設が国登録有形文化…

萬祥山龍徳寺

若桜鬼ヶ城から下りて、麓にある萬祥山龍徳寺を訪れる。 ここは曹洞宗の寺院で、関ヶ原戦後に若桜城主となった山崎家盛の菩提寺である。 萬祥山龍徳寺 寺伝によれば、初世の和尚が、現鳥取県八頭郡八頭町用呂の千石岩の下に庵を結んだのが寺の発祥であるとい…

松風村雨堂

綱敷天満宮から北に歩き、山陽電鉄須磨寺駅まで行く。 須磨寺駅の東側出口のすぐ傍に、「平重衡とらわれの松跡」がある。今は小さな祠があるだけである。 平重衡とらわれの松跡 かつてこの辺りには、大きな松の木があったという。 平重衡は、平清盛の五男で…

敦盛塚 

神戸市の垂水区から須磨区に入ると、律令制の行政単位で言う摂津国に入ったことになる。 摂津は畿内のなかの一国である。畿内は言うまでもなく、山城、大和、摂津、和泉、河内の五カ国である。これから日本の歴史上、長らく「首都圏」だった地域の史跡を巡る…

生野の変

文久三年(1863年)10月11日、尊王攘夷派の元福岡藩士・平野国臣、長州藩士南八郎(本名河上弥市)らは、いわゆる七卿落ちで長州に落ち延びた公卿の澤宜嘉を総帥に迎え、倒幕のため但馬国生野の地で挙兵する。 翌12日、志士達は生野代官所を襲撃し、無血占拠…

岡山市 大福寺 徳與寺

少林寺から南に歩き、岡山市御成町にある真言宗の寺院、聖満山法城院大福寺に行く。 大福寺 大福寺は、天平勝宝年中(749~757年)に報恩大師が開いた備前四十八ケ寺の一つで、当初は備前国和気郡伊部村にあったという。 寛永年中(1624~1644年)に、岡山藩…

禅光寺安住院

操山は、尾根が東西に長く伸びた山だが、山裾に多数の寺院が建っている。 今日紹介するのは、そのうちの一つ、岡山市中区国富3丁目にある、瓶井(みかい)山禅光寺安住院である。 禅光寺は、天平勝宝年間(749~757年)に報恩大師が制定した備前四十八ケ寺…

津山市 本源寺 安国寺

妙法寺から北東に歩き、津山市小田中の本源寺に至る。妙法寺は松平家の菩提寺だったが、本源寺は津山藩主森家の菩提寺である。 古びた山門が出迎えてくれる。 本源寺山門 瓦が崩れ出しそうな門である。 本源寺は、臨済宗の寺院である。足利尊氏が暦応二年(1…

津山市 泰安寺 妙法寺

徳守神社から西に歩き、藺田川を越えて西寺町に入る。西寺町は、多数の寺院が集中する町である。 今日は西寺町にある2寺院を紹介する。 まず訪れたのは、浄土宗の寺院、泰安寺である。 泰安寺表門 泰安寺は、森氏の所領だった美濃国金山にあった涅槃寺が前…

稲爪神社 長壽院

明石市大蔵中町にある稲爪神社は、三嶋大明神を祀る神社である。 稲爪神社神門 神門内の武人像 日本の正史である「日本書紀」には記載がないが、推古天皇の時代、朝鮮半島から、全身を鉄で覆った鉄人8千人が日本に攻めて来たという伝承がある。 日本側は九…

浜光明寺と朝顔光明寺

明石市鍛治屋町にある遍照山光明寺は、浄土宗の寺院である。 近くにある真宗大谷派の月池山光明寺と区別するため、通称「浜光明寺」と呼ばれている。 浜光明寺の山門 浜光明寺の山門は、屋根の瓦が崩れ始めている。しかし、彫刻などはなかなか見事なので、修…

備前長船 後編

備前長船刀剣博物館の前には、近代備前長船の刀匠今泉俊光の工房を再現した、今泉俊光刀匠記念館がある。 今泉俊光刀匠記念館 今泉俊光は、明治31年に佐賀県小城郡小城町で生まれ、祖父の影響を受けて幼いころから刀作りに興味を持ち、釘を潰して小刀を作っ…

周匝城跡

岡山県赤磐市周匝(すさい)にある山城の遺構が、周匝城跡である。 周匝城は、茶臼山城とその奥の大仙山城の2つの連続した山城の総称である。 茶臼山城 茶臼山城を築城したのは、浦上宗景の家臣だった笹部勘次郎だとされている。勘次郎は、天文二年(1533年…

五流尊瀧院

昨日の記事で紹介した熊野神社と隣接して建つのが、修験道の大本山、五流尊瀧院である。 役小角の五人の弟子が開いた修験道の五流の寺院の一つがその元である。 承久三年(1221年)、承久の乱が勃発し、三井寺長吏であった後鳥羽上皇の皇子・覚仁親王が難を…

三木城跡 細川庄

三木市上の丸町一帯が、国指定史跡の三木城跡である。今まで紹介した、雲龍寺や三木市立みき歴史資料館、三木市立金物資料館も、三木城跡に含まれる。 三木城跡の見取図 三木城は、15世紀後半に別所則治により築城された。当時は、東播磨随一の要害であった…

三木市 法界寺 本要寺

兵庫県三木市東這田にある虚空山法界寺は、浄土宗の寺院である。 ここは、三木城を拠点とした戦国武将別所長治が埋葬された寺院である。 法界寺 法界寺は、天平四年(732年)に行基菩薩が開基したとされている。行基が聖武天皇の勅を奉じて全国を行脚してい…

播磨町 蓮花寺 

大塩平八郎の乱が世上を賑わした天保八年(1837年)、現在の兵庫県加古郡播磨町古宮に彦太郎という男子が生まれた。後、アメリカでジョセフ彦と改名した。 日本人として歴史上初めてアメリカの大統領と面会し、日本初の新聞を刊行した人物である。 彦太郎が1…

津山市 萬福寺 清瀧寺

岡山県津山市高野本郷にある日蓮宗の寺院・玄好山萬福寺を訪問する。 萬福寺 萬福寺本堂 この寺には、元禄十一年(1698年)に発生した惣百姓一揆である高倉騒動の中心人物・堀内三郎右衛門の墓がある。 美作国は、津山藩森家の所領であったが、農民は津山藩…

日本原

岡山県勝田郡奈義町、同郡勝央町、津山市にまたがるように広がる台地を日本原という。 岡山県と鳥取県の県境に聳える那岐山の南側に広がる台地である。 日本原 正徳年間(1711~1716年)に、日本全国廻国巡礼を終えた福田五兵衛という人物が、広戸野と呼ばれ…