JR知和駅の前の道から、矢筈城跡のある矢筈山を見上げることが出来る。
矢筈山は、標高約756メートル。この山上にある矢筈城跡は、全国の城跡の中でも、最も高地にある城跡である。
矢筈山は、巨大な山体を持つ山である。JR美作河井駅前には、矢筈城跡の案内板が立っている。
矢筈山に登るには、美作河井駅から登るルートと、千磐(ちわ)神社から登るルートの2つがある。
矢筈というのは、矢の上端の弦を受ける部分のことで、上に向いたコの字の形をしている。
上の「矢筈城想像図」のように、矢筈山の頂上付近の大筈と小筈の間の谷間が、矢筈のようなので、この名がついた。
矢筈山の「矢筈」に似た山頂付近を見ると、木々に覆われて分かりにくくなっているが、矢筈のようなV字型の断崖が見える。
矢筈城は、天文元年(1532年)から2年かけて、地元の国人領主の草刈衡継が建築した山城である。
数多くの曲輪を配した連郭式山城であった。
草刈氏は、代々山名氏に服属していたが、山名氏の力が衰えると、今度は尼子氏に属した。矢筈城は、尼子氏の美作攻略の拠点になった。
第三代城主草刈重継は、毛利氏に属したため、矢筈城は宇喜多氏や秀吉軍に攻撃された。
しかし堅固な矢筈城は、一度も落城することなく、敵を撃退した。
最終的に、秀吉に服属した毛利輝元が、草刈氏に城からの退去を懇願し、矢筈城は廃城となった。
さて私は、千磐神社の登山口から矢筈城跡に登ることにした。
千磐神社は、草刈氏の守護神として矢筈城内に祀られていたが、その後現在地に遷された。
相殿には矢筈城に関連する武将たちが祀られている。
千磐神社の前で柏手を打ち、これからの登山の無事であることを祈った。
千磐神社には、津山市指定天然記念物の、千磐神社の大杉と臥龍藤がある。
大杉は、樹齢約660年、樹高約40メートルの大杉である。矢筈城が築かれる前から生きている杉だ。
この大杉に、龍が絡みつくように生えているのが臥龍藤である。
藤が花盛りの季節にここに来たら、また面白かろう。
千磐神社のすぐ西側に、矢筈城跡への登山口がある。気合を入れて登り始めた。
昨日も書いたが、当日は台風9号が津山市に接近していた。しかし山に入ると、深い木々に守られているのか、風はそれほど強くない。
登り始めると、すぐに堀切らしき場所が現れた。ちょっとテンションが上がった。
堀切とは、土を掘って造られた人口の断崖である。
更に進み、根が地面に這い回る登山道を登って行く。
しばらく行くと、両側が急斜面となった道に至った。人工的な物かどうか分らぬが、おそらく人工的に築かれた土橋だろう。
更に行くと、大岩が見えてくる。
登ってみて分かったが、矢筈城跡は、千磐神社の登山口から本丸まで東西に曲輪が連続している。城の規模は、東西約1600メートル、南北500メートルである。一番東に本丸が位置している。
曲輪群の北側と南側は急斜面の断崖である。この急斜面を登るのは容易ではない。
本丸の東側は、矢筈の形をした断崖絶壁である。本丸に行くには、西側から攻めて行って、1,600メートルの曲輪を全て突破するしかない。
なるほどこれは難攻不落である。
次回は矢筈城跡の曲輪群を紹介する。