表鉄門の跡を通過し、津山城跡の本丸跡に入る。広々とした空間が広がる。
かつてこの本丸跡には、広壮な本丸御殿が建っていた。
本丸から、今まで登って来た城の石垣群を見下ろす。
さて、本丸の南西隅に、平成17年に再建された備中櫓が建っている。備中櫓の内部は普段から公開されている。
備中櫓は、森忠政の娘婿である鳥取藩主池田備中守長幸が津山城を訪れた際に完成したとされている。池田備中守長幸にちなんで、備中櫓と命名されたようだ。備中櫓跡から、池田家の家紋の揚羽蝶紋の瓦が出土しているのを見ても、池田家とゆかりの深い建物であることが分る。
備中櫓の内部は、御座の間や茶室があり、完全な御殿建築である。戦う城の一郭でありながら、優美な女性的な建物である。
備中櫓は2階建てである。2階に上る階段の上端に、板をスライドさせて2階への出入り口を塞ぐ仕掛けが再現してあった。
いざという時のための備えも忘れていなかったようだ。
2階に上ると、畳が一段高くなった御上段の間がある。
高貴な人が座るのに相応しい場所だ。
備中櫓の北側の五番門の跡の西側には、太鼓塀という土塀が再建されている。
このように平成になって少しだけ津山城の城郭の一部が再建された。少しづつでいいから再建を続けてほしいものだ。
天守台の説明板には、かつての天守をCGで復元した図が掲載されていた。
天守の高さは、石垣を除けば、約22メートルあったという。この天守が木造で復元されたら、津山どころか美作を象徴する建物となるだろう。
天守台は、内部が空洞になっている。石垣に囲まれた地階があったのだろう。
私が津山城跡を訪れたのは、8月30日で、酷暑の日であった。熱風の中を歩くかのような過酷な登城であった。ところが、本丸に上ったころから、北方の空が一転してかき曇り、雷鳴が鳴り響いた。
天守台から北を望めば、黒雲から白い雨足が下界に下りているのが分かる。
雷鳴とともに涼しい北風が吹いて来た。私が被っていた麦わら帽子が吹き飛ばされそうになる。雨が来るなと思ったので、少し急いで城を降りた。
天守台から南を望めば、森忠政が築いた城下町のあった辺りである。
森忠政は、吉井川左岸に堤防を築くことで、元々吉井川の氾濫地だった城南地域の水害を治め、城下町を整備していった。
さて、天守台を降りて、駐車場に戻り、スイフトスポーツに乗って城の北側に回る。城の北側には、栗積櫓のあった石垣がある。
ここ最近、城の再建があちこちで検討されている。観光資源という意味では城郭を再建した方がいいかも知れない。
しかし、石垣だけが残っている風景も、想像をかきたててくれるので好いものだ。城の石垣が、なぜこんなに人を静かな気持ちにさせるのか、思えば不思議なものだ。