竹田城跡 中編

 法樹寺の北側から竹田城跡への登山道が始まる。

 赤松家の陣屋跡である法樹寺のすぐ側から始まるこの登山道は、赤松広秀も登った道だろう。

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竹田城跡登山口

 竹田城跡への登山ルートは、3通りある。駅裏登山路、表米神社登山路、山城の郷駐車場からの登山路である。

 この中で、一般的なのは駅裏登山路である。私も駅裏登山路を登り始めた。

 竹田城跡のある虎臥山の標高は、約354メートルである。そう高くない山だが、登ってみると結構きつい。私が訪れた日は、蒸し暑い日で、ぼたぼた汗が流れた。

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登山路

 登山口から約30分で、城跡の手前の料金所に着いた。ここで入場料を支払うことになる。私が過去に竹田城跡を訪れた時は、無料で見学出来た。

 竹田城跡の石垣群を維持するためには、やむを得ないのではないか。とは言え入場料は大人500円である。この城跡の見事さからすれば、割安と言える。

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竹田城跡の縄張り

 竹田城跡は、本丸を中心に、北側(図右)に北千畳、南側(図左)に南千畳、西側(図上)に花屋敷という3つの曲輪が張り出している。

 この内、花屋敷は、土砂の流出が続いており、曲輪の保護のため現在は観光客の立ち入りを禁止している。

 城の規模は、南北約400メートル、東西約100メートルである。上の図を見れば分るが、石垣の下には竪堀がいくつか掘られている。これは、太田垣氏が城主だった時代の遺構らしい。

 料金所から石段を上ると、石垣群が見えてくる。

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石垣群が見えてくる。

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野面積みの石垣

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 竹田城跡の石垣は、野面(のづら)積みという積み方である。大小様々で形も不揃いの自然石を、あまり手を加えずにそのまま積むというもので、野趣があって私は好きである。

 近江穴太(あのう)衆が、安土城の石垣を築いた穴太積みと呼ばれる積み方に似ているそうだ。

 竹田城跡の石垣は、近年補修されているのだろうが、赤松広秀の改修から400年以上経った今でも、これだけ見事な石垣群が残っている。野面積みが、ラフなようでいかに堅牢な積み方であるかが分る。

 さて、見学順路では、まず北千畳に入ることになる。大手門跡から北千畳に入っていく。

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大手門跡

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 大手門跡からは、観光客が歩く道の下に灰色のシートが敷かれるようになる。私が過去に竹田城跡を訪れた時にはなかった設備だ。

 あまりにも多くの観光客が城跡を歩くので、地面が崩れないように張ったシートだろう。

 このシートのおかげで、城跡が守られているのは確かだが、400年前そのままの景観を味わうことは出来なくなっている。まあ、仕方がないことだ。

 北千畳は、芝生が張られた広々とした曲輪である。

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北千畳

 桜の木がまばらに生えており、花見の季節には美しい場所となることだろう。

 北千畳から振り返ると、東側に面した三の丸、二の丸の石垣群を眺めることが出来る。

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三の丸、二の丸の石垣

 北千畳の端は急傾斜の石垣につながる。防御力は高そうだ。

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北千畳の一角

 そして北千畳から北を望むと、和田山の盆地が見える。

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和田山の街並み

 ここから、北の八鹿(ようか)方面から来る敵に睨みを効かせることが出来る。

 北千畳からは、本丸や天守台が見える。

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北千畳から望む本丸

 更に北千畳から三の丸へと向かう。

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三の丸への入口

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 三の丸は、北千畳より一段高くなっている。三の丸に上がり、二の丸に向けて歩いていく。行く手には本丸が見える。

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三の丸から二の丸への道

 二の丸からは、真下に竹田の町を見下ろすことが出来る。ささやかな町である。この城跡と共に時を過ごしてきた町だ。

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竹田の町

 また二の丸から南を望むと、本丸から南千畳に連なる石垣群を眺めることが出来る。

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本丸から南千畳に連なる石垣

 二の丸から本丸に向かって歩き始める。

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二の丸から本丸に向けて歩く

 本丸に近づくと、南に張り出した南千畳の全貌が視野に入る。

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南千畳

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南千畳の中央に立つ赤松

 南千畳の中心には、印象的な赤松がすっくと立っている。山上にぽつんと立つ樹木は、素敵である。何だかこの木に出迎えてもらった気がする。

 ふと今の竹田城主は、この赤松ではないかと思った。

 さて、城の中心に位置する本丸に向かって歩き始めた。

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本丸

 竹田城跡は、その石垣を遠くから眺めると、虎が臥したように見えることから、虎臥(こが)城とも呼ばれてきた。

 この石垣群の上に、白壁の城郭建築が残っているところを想像してみた。どう考えてみても、石垣だけの現在の姿の方がいいように思える。石垣の上に建物があると、虎が臥したようには見えなかっただろう。

 本来あるべきものがそこにないと、想像を膨らませる余地が出来る。

 廃城になってから420年間、山上に横たわり続けた城跡に流れた時間に対して、想像を広げてみた。同じ時間は、これからも流れ続けることだろう。