熱風が吹く中、津山城跡を散策する。
かつて表中門があった辺りは、広い石段を北東西の三方向から石垣が囲んでいる。
広い石段の左手にある石垣が、これまた見事な穴太積である。
不揃いな形の石垣の組合せが、隙間のない緊密な石垣よりも見事だと感じる。不思議なものだ。
広い石段から右手に登っていく石段がある。登ってみると、忠魂碑があった。
美作一市五郡から出征して戦死した戦没者の霊を祭る碑である。頭を下げる。
忠魂碑のある場所から振り返ると、復元された備中櫓がよく見える。
視野に入る桜の木に花が咲いている所を想像すると、春はさぞ美しかろうと思われる。
さて、広い石段に戻り、登っていく。登ってみて気づいたが、普通の歩度で歩くと非常に登りにくい。
一足に一段づつ登ることが出来ない高さと幅に設計されている。急いで登ると躓きそうになる。これも防御のための設計だろう。
石段の突き当りを左に曲がり、更に登ると、かつて四足門があった場所に出る。
四足門は、二の丸の入口にある門で、津山城の破却が決まってから、明治7年に美作国一宮の中山神社の神門として移築された。
中山神社の神門は、津山城の建物の中で、数少ない現存する建物である。
四足門を潜り、ようやく二の丸に入ったわけだ。頭上には備中櫓が見える。
ここから更に本丸を目指す。目の前に切手門の跡が見えて来た。
切手門の復元CGと現実の切手門跡を比べて見ると、なるほどかつての門を想像する事が出来る。
切手門を過ぎて見返ると、本丸の石垣が結構高く聳え、傾斜もあることが分る。
更に進んで、表鉄門があった場所に来る。
表鉄門は、本丸の入口に当る門で、全面を鉄板で覆われた堅固な門だった。文化六年(1809年)の火災により、本丸御殿と表鉄門、裏鉄門は焼失してしまった。この先は本丸である。
最近土塁や堀切を巡らした、土づくりの城が静かな人気を呼んでいるという。
津山城のように、豪壮な石垣を巡らした城は、まだ城としての分かりやすさがある。歩いていても、気軽に楽しめる。
津山城は、元和偃武の後に完成した城だ。一度も戦うことなく破却された城である。戦うために築かれた石垣が、平和な世にひっそりと残っている景色に、何だか寂寥を感じる。