講堂から西側の翼棟に行く。講堂と翼棟の廊下の間には、開き戸がある。
講堂で行事が行われる時には、この戸は閉められたのだろう。
西側翼棟に入ってすぐに、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のロケに使われた教室がある。
教室の教壇寄りに古い木製の机が並んでいる。昭和の教室の姿である。
生徒用の机は何と二人掛けである。当時の生徒たちは、このような机で落ち着いて授業を受けられたのだろうか。
すぐ隣の生徒と話をしたり、落書きをしあったりしてしまいそうだ。
試しに教壇に立って教室を見下ろしてみた。
ここに小さな生徒たちが並んで座っているところを想像してみた。
生徒たちが成長する姿を見守ることが出来る教師という職業は、やりがいがあるものだろう。
教室には、当時給食に使われた食器が置かれていた。
アルミ製の食器である。ある一定の年代以上の人は、アルミ製の給食皿を見て、感涙に咽ぶのではないか。私も、アルミ製の食器にお世話になった世代である。
このアルミ製食器もそうだが、学校の机や椅子などの道具は、実に理にかなった形と耐久性を持っている。
子供たちが元気で時には乱暴であることを想定した道具類である。
木製の螺旋階段を使って、1階に下りた。
1階ホール横の教室に、旧遷喬尋常小学校で使われていた道具類や、記念物が展示されていた。
例えば平成27年に校内から見つかった、本館創建時に屋根に葺かれていた和瓦製のスレートなどがある。
現在の本館屋根に葺かれているスレートは、中央棟が天然石製で、両翼棟がコンクリート製である。
元々は、和瓦製だったわけだ。
設計者の江川三郎八が、身近な素材で擬洋風建築を建てたのが分かる。
また展示されているブリキ製のバケツや塵取りなども懐かしい。
こういうものを見ると、昔掃除をさぼって同級生によく注意されていたのを思い出す。
大正12年には、遷喬尋常小学校の校舎が増築され、東館が建てられた。
今は東館はないが、資料展示室に東館の模型が展示されている。
校舎内の見学を終えて校庭に出た。校庭には、楠の大木があった。
私が昔通った小学校の校庭には、欅の大木があった。その小学校はもう廃校になっている。
私が今住んでいる播州から遠く離れた、新潟県最北の地にあった小学校である。
私は小学校3年生まで、休み時間にはあまり同級生と遊ばず、図書館で本を読んだり校庭の欅を相手に一人で遊んだりしていた。
今から思えば一種の発達障害だったのだろうが、当時の私にとっては、校庭の欅は友人であった。
グーグルマップで廃校になった母校の航空写真を見ると、その欅は校庭跡から消えていた。枯死したか、切られたのだろう。
私は古い友人を亡くしたような気になった。
旧遷喬尋常小学校の校庭の楠の大木を見て、私が思い出したのも、その欅のことであった。