福知山市大江町には、元伊勢三社と呼ばれる三つの神社が存在する。
即ち、元伊勢外宮豊受大神社、元伊勢内宮皇大神社、天岩戸神社の三社である。
元伊勢、というのは、伊勢神宮に鎮座する神々が元々鎮座していた場所という意味である。

伊勢神宮には、天照大御神が皇孫に神鏡として渡した八咫(やた)鏡を御神体として祀る皇大神宮(内宮、ないくう)と、天照大御神に食物を奉斎する神様である豊受(とようけ)大神を祀る豊受大神宮(外宮、げくう)の二つの正殿がある。
福知山市大江町天田にある元伊勢外宮豊受大神社は、この豊受大神宮の元宮とされる神社である。

豊受大神の受(うけ)とは、食物のことである。豊受大神は、食物、穀物を司る神様とされ、保食(うけもち)神や稲荷神とも同一視されている。

延暦二十三年(804年)に成立した伊勢神宮外宮の社伝「止由気宮(とゆけぐう)儀式帳」によると、雄略天皇の夢枕に天照大御神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、丹波に祀られていた豊受大神を神宮外宮に祀るようになったとされている。
丹波の豊受大神は、元伊勢内宮皇大神社に祀られていた天照大御神に食事を提供していたのだろうが、天照大御神が伊勢に遷ったことから、豊受大神も伊勢に遷ることになったのだろう。

丹波(丹後も含む)にて豊受大神を祀っていた神社の伝承地の一つが、この元伊勢外宮豊受大神社である。
豊受大神社は、船岡山という丘陵上に鎮座する。丘陵下の駐車場に駐車し、船岡山上に登る石段に向かうと、麓の建物の壁に、近畿五芒星を説明する看板があるのが目についた。
出雲大社と富士山頂(富士浅間神社奥宮)を結ぶ線上に元伊勢外宮豊受大神社と伊夫伎(いぶき)神社があり、この二社と伊勢神宮、伊邪那岐神宮、熊野本宮大社を結ぶ線が、五芒星になるそうだ。
石段を登ると、参拝順路を教示する看板がある。

私もこの順路に従って参拝することにした。
先ず手水舎で手を濯いだ。


石造の手水鉢には、清敬と刻まれている。清いことを敬うということは、神道の根本にある考え方だろう。
手水舎の先には、黒木鳥居がある。


黒木鳥居とは、樹皮が付いたままの木材を組み合わせて作られた鳥居で、最古の鳥居の形式を残すものである。
鳥居の様式も、丸太四本を組み合わせただけの最も古朴な神明鳥居である。
古社の雰囲気を出している。
黒木鳥居を過ぎて、本殿前に至った。


豊受大神社の本殿前の拝殿は、向かって右にある土之宮と向かって左にある多賀之宮と並んでいる。
先ずは本殿にお参りした。私がお参りした後、カップルが拝殿前でお参りして、女性の方が神前で「大祓祝詞(おおはらえのりと)」を朗々と唱えだした。



「大祓祝詞」を唱えると、人の罪と穢れが洗い清められ、新たに生まれ変わることが出来るという。
神道の世界には天国も地獄もない。罪を重ねたからと言って、地獄に落ちることもない。
罪と穢れを背負えば、洗い清め、水に流し、ただひたすらに明るく清く正直に生きていくだけである。


神道では、死後に天国や地獄に行くことはない。人は死ねば神になる。
神道には教義がない。神々と自然の恵みに感謝して、後悔せずに真っ直ぐ生きる道である。
真っ直ぐ差し込む朝日のように明るい道である。

本殿は、三間社神明造である。明治7年の建立である。
神明造は、弥生時代の穀物倉庫である高床倉庫から発展したとされる建築様式である。
本殿を見ると、穀物を大切にした弥生時代の人々の気持ちが、真っ直ぐ今に伝わっている気がした。