二上山両山寺 中編

 山門を通り過ぎて、本堂へと近づいていく。

 圧巻は、本堂の前に聳える大杉である。二上杉と呼ばれている。

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本堂

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二上

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二上杉の木肌

 二上杉は、樹齢約千年、樹高約40メートル、目通り周囲約7メートルという巨木である。

 近づいて木肌を見ると、まるでゴジラの皮膚のようにごつごつしている。永禄八年(1565年)の両山寺焼失も見守った古木である。思わず手を合わせた。

 両山寺本堂は、江戸時代前半に再建されたものである。

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本堂

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本堂の向拝

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蟇股の彫刻

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 本堂は、唐破風付きの入母屋造銅板葺の建物である。

 この積雪のある高地で、風雪に耐えてよく建っている。

 本堂の引き戸には鍵がかかっていなかったので、中に入ることが出来た。

 内陣があり、奥に本尊の聖観世音菩薩像が祀られている。

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内陣

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宮殿

 本尊の聖観世音菩薩像は、インドの彫刻・建築の神様、毘首羯磨(びしゅかつま)の作と伝えられている。毘首羯磨は、仏法の守護神・帝釈天の臣下とされている。

 毘首羯磨作とされる彫刻のある寺社を訪れたのは初めてだが、全国には毘首羯磨作とされる彫刻が結構あるらしい。

 私は誰もいない本堂に入り、内陣前の椅子に座って線香を上げ、「般若心経」を唱えた。

 「般若心経」の中に、「無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)」という経文があるが、眼耳鼻舌身意という人間の5つの感覚器官と意識が捉える対象が、実は仮構に過ぎないという意味である。

 美しい異性を見て心が動いたり、食事を美味しいと感じるのは、人間が生命を維持し、子孫を残すために、人間の脳と神経の中に仕組まれた幻覚発生装置によってそう認識させられているに過ぎない。

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本堂脇の大師堂

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大師堂内の弘法大師

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 この認識作用は、生命が誕生してから進化する過程の中で、人間に残った機能だろう。食事をしても味を感じない人間よりも、味を感じる人間の方が、食べ物に執着し、生き残るだろう。

 脳や神経は、我々の両親や我々自身が摂った食物から作られたもので、その条件が無くなれば消滅する。脳や神経が認識する対象も、生滅を繰り返しており、いずれは無くなるものである。どちらも仮にあるだけだ。つまり「無色声香味触法」だ。

 そう考えれば、「般若心経」は、我々が普段気づかない当り前の事実を説いているに過ぎない。

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本堂脇の薬師堂

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薬師堂の内陣

 それにしても、40億年以上かけて生物が獲得してきた機能が、仮のものに過ぎないことに気づいた仏教とは、一体何なのだろう。

 さて、伝説では、永禄八年(1565年)に両山寺の堂塔伽藍が焼亡した時、本尊が空を飛び、天野ヶ原に降り立って、光明赫々たるを、朱雀天皇の御苗裔の良尊大和尚が見つけ出して、再びこの地に安置し、寺院を再建したという。

 元禄元年(1688年)には、津山藩主森長成が寺院再興のために寄付をしたという。信仰の力は強いものだ。

 本堂のある高台からは、遠くまで続く美作の山地を見晴るかすことが出来る。

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本堂高台から望む美作の山地

 この美しい景色も、仮のもので、いずれ消滅するものであるが、劫初からの時間の中で、今この景色に出会えたことは、良き縁の導きだと思った。