豊岡市日高町から、国道482号線を西進し、兵庫県美方郡香美町村岡区村岡にある黒野神社を訪れた。
村岡は、守護大名山名家の後裔が、江戸時代に交代寄合旗本となって陣屋を置いた村である。山名家が陣屋を置くまでは黒野村という名であった。
交代寄合というのは、大名のように地方に領地を持って江戸に参勤交代する旗本のことで、寄合は三千石以上の所領を持つ旗本のことを言う。
黒野神社の創建は、大同年間(806~810年)だとされている。但馬に配流となった参議黒野経秀が創建したと伝わっている。
現在の美方郡香美町の南半分は、かつて七美(しつみ)郡という郡だった。
明治29年に七美郡と二方(ふたかた)郡が合併し、美方郡になった。
黒野神社は、創建後、七美郡の総社である志都美(しつみ)神社の上社、下社を合祀して、伊津岐三柱(いつきみはしら)大明神と仰がれた。
祭神は、天御中主(あめのみなかぬし)命、天津彦火能邇邇芸(あまつひこほのににぎ)命、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)命であるが、この三神を合わせたのが伊津岐三柱大明神なのだろう。
私が参拝した時、境内の楓が色づいて、とても美しかった。
日本の国土は狭いながら、変化に富んでいる。
世界中の国で、秋の紅葉もあり、エメラルドグリーンの海もある国は、日本の他にはアメリカと中国ぐらいしかないのではないか。
つくづくいい国に生まれたと思う。
黒野神社は、小さな神社である。本殿はささやかだが、彫刻が凝っていた。
本殿は、明和二年(1765年)の建築で、唐破風、千鳥破風を持った入母屋造、銅板葺きの屋根を戴いている。この本殿は、兵庫県指定文化財となっている。
三手先まで組まれた斗栱も見事だ。
本殿の彫刻群は、表に迫り出すような立体的な彫刻だが、中井権次一統の作品ではないらしい。
黒野神社は、江戸時代には領主の山名家から崇敬され、山名家が奉納した武具類などを所有する。
また、南北朝時代の作とされる絹本著色釈迦十六善神像や、鎌倉時代の舞楽面の貴徳面を有する。絹本著色釈迦十六善神像は、国指定重要文化財である。
江戸時代に村岡を領した山名家の所領は6,700石で、大名を名乗る条件である1万石には届いていない。
江戸時代には、このささやかな山名家の所領内で、随一の神社であった黒野神社は、篤く信仰されていたことだろう。
領主としての山名家は明治になって消えたが、黒野神社は今でも変わらず祀られている。
長い年月の間に人々が気持ちを寄せ続けたものは、歴史の中で長く残るように思う。