源範頼の墓の近くに、最勝寺の奥の院がある。奥の院は、昭和30年まで最勝寺があった場所である。
建物が無くなって、まるで廃寺のようである。
かつてお堂が建っていたと思われる場所には石垣があり、石段がある。
石は建設に使われる素材の中で、最も風化せずに長持ちする。おそらく千年後も、この石段はここにあるだろう。
奥の院には、昭和30年の寺院移転の際に建てられたと思われるコンクリート製のお堂がある。
中に入ると、鉄格子の向こう側に本尊を祀る宮殿があった。
本尊の仏様については、よく分からない。それにしても、鉄格子の中に本尊があるなど、寺院建築としては殺風景である。
数えると全部で33体ある。西国三十三箇所観音霊場の観音菩薩を象ったものだと思われる。
山上に伽藍があった時代に、霊石山の麓から頂上までの登山道に並べられていたものだろう。
奥の院は、廃寺の雰囲気も持っている。廃墟というのは不思議と魅力的なものだ。
さて、舗装路を登り、霊石山頂上に至った。
山頂に至って車から降りると驚いた。私が山頂に着いたのは、午後5時前だったが、大量のカラスが鳴きながら空を飛び交っていたのだ。
ここはカラスの塒なのだろう。夕方にカラスたちはここに戻ってきて、樹上の巣で休むのだろう。
突然の来訪者にカラスが警戒して頭上を飛び交うのを見て、少し気の毒になった。
山頂の西側には、スカイスポーツのための離陸台があった。
この離陸台から、ハングライダーやパラグライダーで飛び立てば、さぞや気持ちがいいことだろう。
しかし自分がそれをするのはちょっと想像出来ない。私は矢張り地に足が着いていた方がいい。
さて、霊石山から下りて、麓にある国英(くにふさ)神社を訪れた。地名で言えば鳥取市河原町片山にある。
国英神社に伝わる梵鐘には、正安三年(1301年)の銘があるという。鳥取県内で最古の梵鐘である。現在は鳥取県重要保護文化財として、鳥取県立博物館にて保管されている。
梵鐘には、「伯州久米郡長谷寺鐘」と刻まれているらしい。元々は鳥取県倉吉市の長谷寺の鐘だったようだ。
国英神社は、天正九年(1581年)に片山字宮畑からこの地に移転した。
境内には、それ以前からあったとされる、樹齢約500年の国英神社の大イチョウがある。鳥取市指定文化財、天然記念物である。
樹高約30メートル。息を呑むほど立派なイチョウだった。日の当たらない北側には、びっしり苔が生えている。苔を生やした巨大生物の皮膚のようで、神々しさを感じた。
国英神社に、こんな立派なイチョウがあることは、訪れるまで知らなかった。
日が沈みかけていた。日帰りの因幡の旅を一先ず終えることにした。
天気が優れず、コンディションが良くない中での史跡巡りだったが、旅の最後に畏敬すべき大イチョウに会うことが出来て、この巡り合わせに感謝した。