霊石山 後編

 源範頼の墓の近くに、最勝寺奥の院がある。奥の院は、昭和30年まで最勝寺があった場所である。

 建物が無くなって、まるで廃寺のようである。

f:id:sogensyooku:20211119205629j:plain

最勝寺奥の院

 かつてお堂が建っていたと思われる場所には石垣があり、石段がある。

f:id:sogensyooku:20211119205741j:plain

石段

 石は建設に使われる素材の中で、最も風化せずに長持ちする。おそらく千年後も、この石段はここにあるだろう。

 奥の院には、昭和30年の寺院移転の際に建てられたと思われるコンクリート製のお堂がある。

f:id:sogensyooku:20211119210003j:plain

奥の院のお堂

 中に入ると、鉄格子の向こう側に本尊を祀る宮殿があった。

f:id:sogensyooku:20211119210350j:plain

お堂内の鉄格子

f:id:sogensyooku:20211119210435j:plain

お堂内の宮殿

 本尊の仏様については、よく分からない。それにしても、鉄格子の中に本尊があるなど、寺院建築としては殺風景である。

 奥の院の敷地には、観音菩薩の石像が多数集められていた。

f:id:sogensyooku:20211119210700j:plain

観音菩薩の石像

 数えると全部で33体ある。西国三十三箇所音霊場の観音菩薩を象ったものだと思われる。

 山上に伽藍があった時代に、霊石山の麓から頂上までの登山道に並べられていたものだろう。

 奥の院は、廃寺の雰囲気も持っている。廃墟というのは不思議と魅力的なものだ。

 さて、舗装路を登り、霊石山頂上に至った。

f:id:sogensyooku:20211119211043j:plain

霊石山頂上

 山頂に至って車から降りると驚いた。私が山頂に着いたのは、午後5時前だったが、大量のカラスが鳴きながら空を飛び交っていたのだ。

 ここはカラスの塒なのだろう。夕方にカラスたちはここに戻ってきて、樹上の巣で休むのだろう。

 突然の来訪者にカラスが警戒して頭上を飛び交うのを見て、少し気の毒になった。

 山頂の西側には、スカイスポーツのための離陸台があった。

f:id:sogensyooku:20211119211609j:plain

離陸台のある西側斜面

f:id:sogensyooku:20211119211706j:plain

離陸台

f:id:sogensyooku:20211119211737j:plain

離陸台からの景色

 この離陸台から、ハングライダーやパラグライダーで飛び立てば、さぞや気持ちがいいことだろう。

 しかし自分がそれをするのはちょっと想像出来ない。私は矢張り地に足が着いていた方がいい。

 さて、霊石山から下りて、麓にある国英(くにふさ)神社を訪れた。地名で言えば鳥取市河原町片山にある。

f:id:sogensyooku:20211119212130j:plain

国英神社

f:id:sogensyooku:20211119212210j:plain

国英神社拝殿

 国英神社に伝わる梵鐘には、正安三年(1301年)の銘があるという。鳥取県内で最古の梵鐘である。現在は鳥取県重要保護文化財として、鳥取県立博物館にて保管されている。

 梵鐘には、「伯州久米郡長谷寺鐘」と刻まれているらしい。元々は鳥取県倉吉市長谷寺の鐘だったようだ。

f:id:sogensyooku:20211119212728j:plain

国英神社本殿

 国英神社は、天正九年(1581年)に片山字宮畑からこの地に移転した。

 境内には、それ以前からあったとされる、樹齢約500年の国英神社の大イチョウがある。鳥取市指定文化財、天然記念物である。

f:id:sogensyooku:20211119212944j:plain

国英神社の大イチョウ

f:id:sogensyooku:20211119213055j:plain

 樹高約30メートル。息を呑むほど立派なイチョウだった。日の当たらない北側には、びっしり苔が生えている。苔を生やした巨大生物の皮膚のようで、神々しさを感じた。

f:id:sogensyooku:20211119213605j:plain

苔が生えている大イチョウ

 国英神社に、こんな立派なイチョウがあることは、訪れるまで知らなかった。

 日が沈みかけていた。日帰りの因幡の旅を一先ず終えることにした。

 天気が優れず、コンディションが良くない中での史跡巡りだったが、旅の最後に畏敬すべき大イチョウに会うことが出来て、この巡り合わせに感謝した。