植村直己。
昭和に育った人なら、誰もがその名を知る日本が世界に誇る冒険家である。
豊岡市日高町伊府に、その植村を記念する植村直己冒険館が建っている。
開館は、平成6年である。昭和59年に植村が北米最高峰のマッキンリーで消息を絶ってから10年後だ。
植村直己冒険館は、コンクリート製の建物で、半地下に築かれている。細長い回廊が中心にあり、その左右に展示スペースや売店がある。
意外の感を持ったのは、植村直己冒険館に見学客が多かったことである。館に隣接して子供が遊ぶ遊具施設やキャンプ設備があるために、子連れの家族が多かったのかもしれないが、植村直己に関する展示スペースにも多くの見学客がいた。
植村が達成した偉業は、人種や国籍を問わず、どんな時代の人間も理解することができる。
だからこそ、昭和が終わって、平成も過ぎ、令和になっても、植村の冒険は思い出され、人々が見学に来るのだろう。
植村の偉業として、日本人初のエベレスト単独登頂、世界初の世界五大陸最高峰登頂、世界初の北極圏12,000キロメートル単独犬ゾリ行、世界初の北極点犬ゾリ単独到達、世界初のマッキンリー冬季単独登頂が挙げられている。
ちなみに世界五大陸最高峰がどの山を指すのか、ここに来て知ることが出来た。
アジア大陸のエベレスト(標高約8,848メートル)、ヨーロッパ大陸のモンブラン(標高約4,807メートル)、アフリカ大陸のキリマンジャロ(標高約5,895メートル)、北米大陸のマッキンリー(標高約6,194メートル)、南米大陸のアコンカグア(標高約6,960メートル)が、世界五大陸最高峰らしい。
史跡巡りで、標高300メートルほどの山でも息が上がり足がふらつく私から見ると、植村がこの全てに登ったことは、まさに超人的な偉業である。
しかも、ただの登山ではなく、僅かな判断ミスが命を落とすことにつながる、文字通りの命がけの冒険である。
エベレスト登山中に難関アイスフォールを渡る植村の写真が掲示してあった。
何度も死線を越えるような冒険を、生涯に渡って続けた植村の勇気と熱意と努力には、月並みだが「すごい」の言葉しかない。
植村直己は、昭和16年に今の兵庫県豊岡市日高町に生まれた。子供のころ、学校の行事で地元の蘇武岳(標高約1,074メートル)に登頂したことがきっかけで、登山に興味を持った。
19歳で明治大学農学部に入学し、山岳部に入り、日本アルプスに登った。
大学を卒業して23歳で、「氷河が見たい」と思い立ち、単身渡米した。これが世界中の山を登る冒険の始まりだった。
アメリカの農場やヨーロッパのスキー場でアルバイトをして資金を貯め、25歳でマッターホルン、モンブラン、キリマンジャロの三峰に立て続けに単独登頂した。
29歳でアラスカにあるマッキンリーに登って、登山は一段落することになった。
だがそこからまた新たな冒険を始める。
31歳でグリーンランドに渡り、イヌイットと生活しながら、イヌイットと同じ食事をし、彼らから犬ぞりの作り方、扱い方を学んだ。
そして、33歳の時にグリーンランドからアラスカまでの12,000キロメートルを、犬ぞりで単独走破した。
その後も犬ぞりで北極点まで単独で到達したり、犬ぞりでグリーンランドを縦断したりと、大冒険を続けた。
館では、植村が冒険に実際に使用した衣服や靴、道具類が多数展示されていたが、中でも面白いと思ったのが、極地の冒険で使ったテントである。
マイナス30度以下という極限の状況で生存するために工夫されたテントである。2本継ぎのジェラルミン製のポールを4本内蔵し、傘をさす時のように、ポールを開くだけで設営出来るそうだ。設営にかかる時間は1分である。
テトロンとナイロンの四重張り構造で、極寒の極地でも割合暖かく過ごすことができたようだ。コンロの使用に備えて不燃性の素材が使われている。
私も史跡巡りをするにあたって、将来野営が必要になった時のため、こんなテントが欲しいと思った。
植村は、昭和57年、41歳の時に、南極大陸犬ぞり縦断、南極最高峰ピンソン・マシフ(標高約4,892メートル)登頂を目指したが、フォークランド紛争発生によりアルゼンチン軍の協力が得られず断念した。
そして、昭和59年2月12日、43歳で世界初マッキンリー冬季単独登頂を達成したその翌日の2月13日に、下山中消息を絶った。
何度も捜索されたが、ついに発見されなかった。当時私は小学4年生だったが、植村が好きだった父が、ニュースを見ながら話題にしていたのを覚えている。
雪山が何よりも好きだった植村にとって、マッキンリーは人生最後の場所として相応しかったのかも知れない。
展示スペースの最後に、植村が残した語録が壁に書いてあった。その中の一つの言葉に頷いた。
それは、「不安な時は、小さなことでもいい、今できる行動を起こすこと」というものだった。
人はだれしも、将来のことを心配して不安になったり、過去の失敗を悔やんだりする。
しかしそれらの不安や後悔は、何もプラスになることを生み出さない。何かを生み出すなら、今できることをするしかないのである。小さな事であっても。
平凡な言葉かも知れないが、これほどの偉業を成し遂げた植村が語るからこそ説得力を持つのだと思う。
思えば、人生も一種の冒険である。植村の冒険にかけた情熱を知って、今後の人生を渡って行く勇気をもらったような気がした。