仏殿の奥の石段を登ると、方丈がある。
方丈の名は、インドの維摩居士の居室が方一丈だったという故事から来ている。
方丈は、禅宗における住持の居住空間で、本堂、客殿を兼ねている。高源寺では、庫裡も兼ねているそうだ。
方丈に来た時に、雨脚が早くなった。傘を持っていなかったので、方丈の軒下でしばし雨宿りをした。
方丈内には、開山堂があり、中峰国師、開山遠谿祖雄禅師、中興天巌禅師の像や歴代住職の位牌が安置されているという。
方丈の脇には、画僧雪舟が築いたと言われる、大痩嶺という築山がある。
雪舟は、寛正年間(1460~1466年)に明に渡って、画と禅の修行を行った。雪舟は、中国にある大痩嶺を象ってこの築山を築いたという。
禅の六祖慧能(えのう)は、師匠から伝法の印として、衣鉢を譲り受けた。
慧能の師匠は、他の弟子が慧能に嫉妬することを心配し、慧能を旅に出した。
慧能に嫉妬した修行仲間の明上座が慧能を追いかけ、慧能に対し衣鉢を譲るよう迫った。慧能は大痩嶺の岩の上に衣鉢を置いて、「好きにしろ」と答えたという。
明上座は、慧能の行いを見て、大事なのは仏法であって、衣鉢ではないことに気づいた。衣鉢はあくまで仏法を覚った者に師匠が与えた印に過ぎないからだ。
高源寺に中峰国師の衣鉢が秘蔵されていることに因んで、雪舟がこの寺に大痩嶺を象った築山を築いたのだろう。
大痩嶺の先には、虎谿泉という渓谷があり、その上に三笑橋という石橋が架せられている。石橋は今は鉄筋コンクリートで補強されている。
虎谿泉の中にある石を虎石という。三笑橋の名前の由来は、遠谿祖雄禅師が、2人の修行仲間と中国虎谿で虎の声を聞いて、3人で大笑いした故事から来ているという。
三笑橋を越えると、目の前に三重塔が聳えている。この三重塔は、弘巌禅師が寛政年間の1790年ころに建立したものである。
私が史跡巡りで訪れた22番目の三重塔である。
この三重塔は、仏塔であると同時に、釈尊一代に説かれた5,048の経文が納められた輪蔵でもあり、多宝塔とも呼ばれている。
内部には、天竺、中国、日本の三国伝来の、インド毘須鳩摩作の開運毘沙門天像が祀られている。
開運毘沙門天像は、金仏である。塔の内部は撮影禁止であったため、写真では紹介できない。
この毘沙門天像は、近郷から厚く信仰されており、元旦には三重塔をお参りする人が多いという。
雨の降る中の参拝だったが、高源寺は、なかなかの名刹であった。
紅葉は終わっていたが、落ち葉の広がる中の禅寺もいいものである。