嶽古墳 売沼神社

 大義寺の参拝を終えて北上し、鳥取市河原町曳田(ひけた)にある嶽(だけ)古墳と売沼(めぬま)神社を訪れた。

 ここは、大国主神の妻となった八上姫(八上比売)ゆかりの地である。

 大国主神と八上姫の婚姻物語は、「古事記」の稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)の説話と関連している。

 嶽古墳と売沼神社の近くには、八上姫を記念する八上姫公園がある。大国主神と八上姫の物語を紹介する絵と文を刻んだ紙芝居石碑を複数置いていて、二柱の神の恋の物語を偲ぶことが出来る。

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八上姫公園

 天照大御神との姉弟喧嘩により高天原から追放された須佐之男命は、出雲と伯耆の境にある鳥髪山(今の船通山)に降臨する。

 須佐之男命は、その地で八岐大蛇を退治して櫛名田(くしなだ)比売を娶る。大国主神は、須佐之男命の六世の孫として生まれた。

 大国主神には、八十神(やそかみ)という異母兄弟の神々がいた。

 八十神たちは、因幡にいた八上姫に求婚するため、八上の地に向かった。その時、大国主神に袋を負わせ、従者として付き従わせた。

 八十神たちは、途中で稲羽の素兎に遭う。鰐に皮を剥がれて苦しむ素兎に対し、誤った治療法を教えて余計苦しませた。

 その後通りかかった大国主神が、正しい治療法を素兎に教える。この素兎は実は八上姫の使いであった。

 大国主神に感謝した素兎は、「あなたは袋を背負っているが、八十神ではなく、あなたが八上姫を得るでしょう」と告げる。

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紙芝居石碑

 八上姫は、八十神の求婚を退け、大国主神に嫁ぐことを約束する。怒った八十神は大国主神を殺害するが、大国主神は母神の活躍などで蘇生し、最終的に八十神を追い払い、八上姫と婚姻し、日本の国作りを開始する。

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紙芝居石碑に刻まれた物語

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 大国主神は、後にインド伝来の神・大黒天と習合された。日本の大黒天像が袋を背負っているのは、この古事記神話から来ている。

 また、素兎に治療法を教えた大国主神は、日本に医療を齎した神ともされている。

 神話では親しみやすいヒーローのような大国主神は、今でも出雲大社に祀られ、日本中の男女の縁結びを司っていると言われている。

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大国主神と八上姫の求婚の石像

 大国主神は、多数の女神と婚姻したが、正妻は須佐之男命の娘の須勢理毘売(すせりびめ)命であった。

 「古事記」によれば、八上姫は正妻に遠慮して、生まれた子を木の股に挟んで因幡に連れて帰ったという。この子を木俣(きまた)神という。

 かつて因幡国に八上郡という郡があったが、この名は八上姫から来ている。

 以前当ブログで丹波八上城を紹介したが、八上城を築いた波多野氏は、因幡国八上郡の出身であった。波多野氏は、八上の地を忘れられなかったと見える。

 史跡巡りを続けると、訪れた史跡をつなぐ縁にも気づくことが出来て面白い。

 さて、八上姫公園の南側に流れる曳田川の対岸に梁瀬山が聳えている。その尾根上に、八上姫の墓とされる嶽古墳がある。

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簗瀬山の尾根

 嶽古墳には、簗瀬山東側の集落奥の小さな神社の脇道を登ると行きつける。

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嶽古墳への登り口

 コンクリートで舗装された細い道を登って行くと、途中左手に小さな社がある。

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途中の社の鳥居

 この社を左手に見て舗装路を登りしばらく行くと、右手に前方後円墳が見えてくる。これが嶽古墳である。

 私は当初、嶽古墳へ至る道が分らず、現地でスマートフォンを使っていろいろと検索した。その際に、ネット上にはまだ嶽古墳の写真が公開されていないことに気づいた。

 今回の記事が、ネット上での嶽古墳の写真の世界初公開である。

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嶽古墳の後円部

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後円部から前方部を望む

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前方部から後円部を望む

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古墳の「くびれ」

 嶽古墳のある場所には、説明板や標柱がないので、ここに古墳があることを知らなければ、見過ごしてしまうかも知れない。

 前方部から後円部を眺めると、前方後円墳の形が明瞭に見て取れる。

 嶽古墳は、5世紀後半から6世紀前半に築かれた前方後円墳で、全長約50メートルの小さなサイズの古墳である。

 八上姫は神話上の人物で、実在したかどうかも不明だが、時代的にはこの古墳が八上姫の墓だというのは無理があるようだ。

 古墳の見学を終えた後、八上姫公園の隣にある売沼神社を参拝した。

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売沼神社鳥居

 売沼神社の祭神は、八上姫神である。平安時代の「延喜式神名帳」にも「八上郡売沼神社」と記載があるそうだ。

 中世には、西日天王と呼ばれたが、元禄時代から元の売沼神社の社名に戻った。

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売沼神社拝殿

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売沼神社社殿

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本殿

 因幡の白兎は、隠岐島から連なる鰐の背中を渡って因幡に来た。

 八上姫は伝説上の人物だが、日本海を渡って来た渡来人が、因幡海岸から千代川を遡って、曳田郷に至ってこの地を開拓したことはあり得る話だ。

 出雲神話に出てくる人物たちは、遥か昔にいずこからか日本海を渡って来た人々が、山陰地方を開拓していった事績の数々を象徴しているのかも知れない。