神社
南北朝の争乱の真っ只中だった観応元年(1350年)、紀州熊野水軍を率いる安宅氏は、室町幕府将軍足利義詮から、南朝方だった淡路水軍の討伐を命じられた。 安宅氏は淡路に渡り、島内で紀州に最も近い由良に拠点を築き、勢力を拡大した。 安宅氏が築いた由良…
洲本城跡のある三熊山から麓に下りて、洲本市千草にある真言宗の寺院、満泉寺に赴いた。 満泉寺 この寺には、延享二年(1309年)の銘のある鰐口があるそうだ。 勿論公開していなかったので、見学は出来なかった。 私がこの寺を訪れた時は、六角堂で住職が法…
西の丸から本丸跡の石垣下に戻った。 天守台の艮(北東)の方角に、八王子神社という小さなお社が祀られている。 八王子神社鳥居 実はこの日、洲本の史跡巡りを始めてから、愛用カメラRX100の調子が悪くなった。 通常であれば、シャッターを半押しすれば、オ…
兵庫県洲本市山手2丁目にあるのが、古くから洲本城の鎮守として崇敬されてきた洲本八幡神社である。 洲本八幡神社鳥居 社伝によると、淡路国司となった藤原成家が、永祚二年(990年)に領国において苦難に見舞われた際、八幡大神が出現して今後進むべき方向…
静思堂から国道426号線を東進する。国道426号線は、兵庫県豊岡市から京都府福知山市までつながっている。 江戸時代にはこの道は、京街道と呼ばれた。出石藩や豊岡藩の大名行列は、この道を通った。 兵庫県豊岡市但東町久畑(くばた)は、江戸時代には宿場町…
有子山から下山し、昼食に出石蕎麦を食べた。腹ごしらえをしてから、歩いて有子山稲荷神社の東にある諸杉神社を訪れた。 諸杉神社 諸杉神社の両部鳥居 諸杉神社は、地名で言うと兵庫県豊岡市出石町内町にある。 祭神は、天日槍(あめのひぼこ)の嫡子である…
出石城跡登城門の前にかかる登城橋と、その東側に架かる有子橋の間に、戦前の衆議院議員で、戦後は国務大臣となった郷土出身の政治家、斉藤隆夫の顕彰碑の説明板がある。 斉藤隆夫顕彰碑の説明板 斉藤は、昭和11年の二・二六事件の後に、議会において軍部の…
5月29日に但馬の史跡巡りを行った。この日は、主に兵庫県豊岡市出石(いづし)町の史跡を巡った。 先ず訪れたのは、城下町出石のシンボルとも言える、出石城跡、有子山(ありこやま)城跡である。 出石城跡、有子山城跡のある有子山 出石は、碁盤の目のよう…
鳥取県八頭郡八頭町郡家(こおげ)には、八頭町の町役場がある。 ここは、江戸時代後期に郡家の発展に尽くした地元出身の豪農安藤伊右衛門の屋敷跡である。 安藤伊右衛門は、毎年のように水不足に悩む郡家の農民を救い、かつ新田開発をして食糧増産を図るべ…
隆平城跡から下山し、鳥取県八頭郡八頭町船岡にある若桜鉄道因幡船岡駅に向かった。 若桜鉄道は、昭和5年に旧国鉄若桜線として、郡家・隼間にて開業し、同年中に若桜駅まで延伸して全線開通した。昭和62年から、第三セクター方式で運営されている。 因幡船…
新興寺から国道29号線を鳥取市方面に進む。 江戸時代には、鳥取から姫路までの街道沿いには、宿場町が形成されていた。鳥取から播州までの間の街道は、若桜街道と呼ばれていた。 若桜街道の若桜宿から鳥取城方面に向かう次の宿場町が安井宿である。 安井宿 …
細野峠を越えた先の京都府福知山市三和町兎原の集落にあるのが、曹洞宗の寺院、金昌山龍源寺である。 金昌山龍源寺 背後の観音山に建っていた百観音堂円通庵を管理していた寺院である。 龍源寺は、寛永ころまでは密教系の寺院だったそうだが、安永八年(1778…
国道173号線を北上し、京都府に入る。 ついに我が史跡巡りも京都府に入ることになった。私が史跡巡りで訪れた府県としては、兵庫県、岡山県、鳥取県に次いで4つ目である。 京都府は、日本で最も史跡の多い場所である。一生かけても、京都府の史跡を全て巡る…
丹波篠山市小原にある大日堂の大日如来坐像が、かつて祀られていた八ヶ尾山の北麓に、藤坂のカツラと呼ばれる巨木がある。 地名で言えば、兵庫県丹波篠山市藤坂にある。 藤坂の集落から西に行くと、藤坂のカツラへの登山道入り口がある。20分ほど歩くと大カ…
北条古墳の見学を終え、国道173号線を北上し、兵庫県丹波篠山市福井にある櫛石窓(くしいわまど)神社を訪れた。 平安時代に編纂された「延喜式」で、丹波で唯一名神大社に列せられている古社である。 櫛石窓神社の社叢 櫛石窓神社 櫛石窓神社の祭神は、櫛石…
旧西光寺の仏像の拝観を終えて、次なる目的地の波々伯部(ほうかべ)神社に向かった。丹波篠山市宮ノ前にある。 それにしても波々伯部とは変わった名である。私の知っている人に、波々伯部姓の方がおられた。 その方は、「電話で『ほうかべです』と言うと、…
4月24日に丹波の旅をした。丹波篠山市の東半分を巡る旅である。 丹波の旅は、いつも雨の中だが、この日も降雨の中を歩いた。 最初に訪れたのが、兵庫県丹波篠山市日置にある磯宮(いそのみや)八幡神社である。 磯宮八幡神社南側の鳥居 磯宮八幡神社は、承…
今日は古くからの獅子舞を伝承する二つの神社を紹介する。 一つ目は、竹内流古武道発祥の地から北に行った岡山県久米郡美咲町境にある境神社である。 境神社 神門 境神社の祭神は、素戔嗚尊である。 社前には、境神社の大スギと呼ばれる巨木がある。 境神社…
幻住寺の参拝を終えて、車を駆って南下し、岡山県真庭市旦土(たんど)にある国玉神社を訪れた。 ここには、旦土が生んだ江戸時代後期の蘭科医石井宗謙誕生の地の碑がある。 国玉神社 石井宗謙生誕の地の看板 寛政八年(1796年)に旦土村で生まれた石井宗謙…
山王神社の参拝を済ませて、更に登り続けると、大手門跡が現れる。 大手門跡 ここが城の正面である。大手門跡を過ぎると水門跡がある。 水門跡 水門跡を過ぎて更に進むと、水神宮がある。 水神宮拝殿と龍神大杉 水神宮拝殿 水神宮は、龍神池の池中に祀られて…
三成古墳から西に向かい、岡山県津山市中北上に聳える岩屋山(標高約483メートル)の山上にある岩屋城跡に向かった。 岩屋川沿いに細い道を北上すると、谷間に登山者用の駐車場がある。そこに車をとめ、歩き始めた。 岩屋城跡の図 岩屋城は、嘉吉元年(1441…
寺町の寺院巡りを終えて、洲本市本町4丁目にある厳島神社に参詣することにした。 この神社は、地元では淡路島弁財天とも呼ばれている。 祭神は安芸の宮島の厳島神社と同じ市杵島姫(いちきしまひめ)命である。 市杵島姫命は神仏習合の過程で、いつしかイン…
兵庫県洲本市下加茂2丁目付近は、弥生時代前期の水田跡や、中期の周溝墓が発掘された下加茂遺跡があった辺りである。 下加茂遺跡のあった辺り しかし今は遺跡があったことを示す表示はない。 下加茂1丁目にある蒼開高等学校は、かつて柳学園高等学校と呼ば…
3月12日に淡路の史跡巡りを行った。 今回訪れるのは、淡路島内の中心都市である洲本市の史跡である。 淡路には、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が多くある。兵庫県洲本市安乎(あいが)町平安浦に、縄文時代前期から晩期にかけての遺跡である安乎間所…
生田神社境内の北東には、生田稲荷大明神がある。 奉納された赤鳥居が、社殿までずらりと並んでいる。 生田稲荷大明神 狛狐 お稲荷さんは、日本全国に隈なく祀られている神様だが、どうも他の神様とは棲んでいる世界が違うような気がする。 生田稲荷大明神の…
生田神社の社殿は、昭和20年の神戸大空襲で焼失した。今ある建物は戦後に建てられたものである。 拝殿は、平成7年の阪神淡路大震災で全壊した。 私は、平成8年6月の神戸新聞の一面に、生田神社拝殿復興の記事が載っていたことを、今でも憶えている。 拝殿…
三宮神社から北上し、神戸市中央区下山手通1丁目の生田神社に向かった。 生田神社は、正月には兵庫県で最多の初詣客を集める、兵庫県を代表する神社の一つである。 途中、繁華街の生田ロードを歩くが、生田ロードの南端に生田神社の赤鳥居がある。 赤鳥居 …
神戸らんぷミュージアムを出て、神戸市中央区三宮町2丁目にある三宮神社まで歩いた。 三宮神社 神戸には、厄除八社と呼ばれる八つの神社があり、それぞれ一宮から八宮の名で呼ばれている。 神戸の厄除八社 一宮神社から八宮神社までの祭神の内、大己貴尊を…
藤田神社から南西に車を走らせ、次なる目的地の興除(こうじょ)神社に向かった。 興除神社は、岡山市南区中畦(なかうね)にあるが、この一帯は、文政四年(1821年)から文政六年(1823年)にかけて開発された興除新田と呼ばれる干拓地である。 児島湾に干…
現在の児島半島は、江戸時代に入るまでは、児島という島であったが、江戸時代初期の干拓事業により本州と陸続きになった。 池田藩政時代には、児島湾の干拓が続き、広大な新田が造られた。児島湾干拓事業は、明治時代に入っても続いた。 今回から連続して、…