「古事記」の国生みの条によると、伊邪那岐命と伊邪那美命が天の浮橋に立って、天の沼矛(ぬぼこ)を指し下ろして、海を「こをろこをろ」とかきまぜて、引き上げた時、矛の先から塩がしたたり落ち、積み重なって「おのころ島」になったという。
伊邪那岐命と伊邪那美命は、おのころ島に降り立って、天の御柱を立て、八尋殿(やひろどの)を建てた。そして天の御柱の周りを回ってからまぐわい(性交)をして、日本列島を生んだ。
この「おのころ島」の候補は多数あるが、沼島もその一つである。天の沼矛と同じ沼の字が島名についているので、島民は沼島を日本始まりの島と信じている。
前回紹介した沼島八幡神社には、天の沼矛から滴った塩が沼島になった場面を描いた絵馬がある。島民が奉納したものである。
伊邪那岐命と伊邪那美命は、おのころ島に居ながら、淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順で島々を生んだ。
この八つの島を、大八嶋国(おおやしまくに)という。
次に、二神は、児島、小豆島、屋代島、姫島、五島列島、男女群島を生んだ。
最初に淡路島と四国を生んだところから見ると、位置的には沼島をおのころ島に比定するのが相応しいように思える。
沼島の人々は、沼島こそおのころ島だと信仰し、寛政年間(1789~1801年)に島の南側のおのころ山を神体山として、小祠を建てて祀った。
私は沼島庭園の見学後、おのころ山に登り、中腹にあるおのころ神社を目指した。
大正元年、島民岩田なつの発願で、小祠を自凝(おのころ)神社に発展させることが決まり、大正12年に本殿が、昭和12年に拝殿が出来た。
このように、沼島のおのころ神社の歴史はそんなに古くはない。そもそも「古事記」は、江戸時代中期に本居宣長が「古事記伝」を書くまで世に知られていなかったし、「日本書紀」が一般庶民の目に触れるようになったのも、江戸時代中期以降だろう。
おそらく江戸時代に、沼島を訪れた国学者や徳島藩の役人が、ここが日本始まりのおのころ島ではないかと島民に告げたのだと思われる。
本殿の脇には、天の沼矛を手にした伊邪那岐命と伊邪那美命の像が建てられている。
私もこの神社が日本始まりの場所だと思い、祈念を籠めた。
さて、おのころ神社からは、おのころ山を横断する山道が続いている。
私は、気温37度の炎天下にこの山道を歩いた。
途中、眼下に海が見えた。
海上にある平バエという平たい岩と上立神岩(かみたてがみいわ)という巨岩が見えた。
上立神岩は、昔から伊邪那岐命と伊邪那美命が周囲を巡った天の御柱だとも、天の沼矛の先端だとも言い伝えられている岩である。
平バエは平らな岩で、この岩の上で伊邪那岐命と伊邪那美命がまぐわいをしたと言われている岩である。
また、平バエの南側は、ウミウが飛来して越冬する場所だそうである。
さて、この場所から北に進むと、上立神岩の近くまで下りていける階段がある。
私は階段を下りて、そこから屹立する上立神岩を眺めた。
上立神岩は、高さ約30メートルの緑泥片岩で出来た巨岩である。
先端が尖って矛のような姿をしている。
天の御柱というより、やはり天の沼矛の先端らしく見える。
史跡巡りを始めて5年以上経過し、ようやく日本始まりの場所に立つことが出来た。
平バエの南側には、下立神岩がある。下立神岩は、元は上立神岩よりも高かったが、安政元年(1854年)の大地震と、昭和9年の室戸台風で上半分が崩れてしまったらしい。
ここから急な階段を再び上がって、今度は島の北端の岩場にある鞘状褶曲を見に行こうと思ったが、やめることにした。
既にここまでの行程で、私はこの日の猛暑にやられてしまっていた。水筒の中の麦茶も尽きていて、周囲に自動販売機もない。
おそらくこのまま島の北端まで歩くと、熱中症で途中意識を失うだろうと思った。
町中ならば、意識を失って倒れても誰かが気づいて助けてくれるだろうが、沼島のような孤島の山中で倒れたら、誰にも気づかれないだろう。つまり死だ。
私は島の北側に行くのはやめて、沼島の集落に戻り、冷房の効いた沼島ターミナルセンターで次の船が来るまで休憩することにした。
沼島ターミナルセンターには、鞘状褶曲を持つ岩石が展示されている。
鞘状褶曲とは、約1億年前に地底深くで岩石が複雑な圧力を受けて褶曲したものである。
平成6年に、沼島北端の黒崎海岸で、このような鞘状褶曲した岩石が見つかった。
鞘状褶曲した岩は、地球上でフランスとここ沼島でしか見つかっていない。貴重なものである。
沼島の鞘状褶曲は、兵庫県指定文化財、日本の地質百選になっている。
はるか太古に出来た鞘状褶曲は、この「はじまりの島」に相応しいものだろう。
今回の旅で、令和2年12月に始めた淡路の史跡巡りを終えた。
3年8か月で、明石海峡大橋から沼島まで、淡路の隅々を巡った。播磨、備前、但馬に次いで、淡路の史跡を「攻略」することが出来た。
淡路を攻略したことで、阿波への道が開けた。四国本島に上陸する日が近づいた。