足守の見学を終えて北上し、岡山市北区上高田にある鼓神社を訪れた。

ここは、備中国の二宮とされる神社である。

祭神は、第10代崇神天皇の時代に、吉備の平定のために派遣された吉備津彦命の功臣遣霊彦(やりだまひこ)命である。
その他、当地の県主であった楽々森彦(ささもりひこ)命、吉備津彦命、その后神の高田姫命、その子吉備武彦命を祀っている。


今では、高田姫命を主神のように扱っているが、元々は吉備平定に功績のあった遣霊彦命が、吉備津彦命からこの地を所領として賜り、後世の人が遣霊彦命を神として祀ったのが、この神社の起こりだろう。
参道を歩くと、脇に紫陽花が咲いていた。しばし紫陽花を見て心を休めた。


この神社の創建年代は詳らかではない。
「六国史」の一つ、「日本文徳天皇実録」に、仁寿元年(851年)に、この神社を正六位上に叙したとある。「延喜式」の神名帳にも見えていることから、平安時代前期よりは古い神社だろう。



拝殿は、鬼瓦と彫刻が見事な豪壮な建物である。



昔は五柱の神様を祀る社殿が五つあって、鼓五社大明神と呼ばれていたそうだ。
寛永二十一年(1644年)に足守藩主木下利当から、社領として2石が寄進されたという。




鼓神社には、かつて5つの社殿があった。今は1つの社殿しかない。
恐らく明治時代に1つにされたのだろう。
鼓神社には、まだ神仏習合の名残がある。一つは、境内にある鐘楼である。

もう一つは、国指定重要文化財となっている鼓神社宝塔である。

鼓神社宝塔は、総高415.5センチメートルの巨塔で、背後に貞和二年(1346年)の銘が刻まれている。

宝塔は、下から基壇、基礎、塔身、笠、相輪で構成されている。
塔身正面には、龕が彫られ、中に金剛界大日如来が刻まれている。

その下の基礎正面には、一対の孔雀が刻まれている。

基礎の左右には、それぞれ意匠の異なる蓮が刻まれている。

この宝塔を造ったのは、銘文によれば、大工妙阿である。
妙阿は、康安元年(1361年)に、葦守八幡宮の石鳥居を造っている。当時名を知られた石工だったのだろう。
南北朝時代は、石造品が日本各地の寺社に奉納された。
戦乱の時代に、石工たちは、平和な世の到来を願って、これらの石造品を奉納したのかも知れない。