化生寺の西隣には、玉雲大権現という神社がある。
封じ込められた殺生石の妖気を神として祀ったもので、化生寺の鎮守である。
参道を行くと、華麗な朱色の両部鳥居が出迎えてくれる。
寺院の西隣に、南北に参道を持つ神社が建つという配置は、備前の本宮山円城寺と提婆天の配置によく似ている。
提婆天は呪詛の神様だったが、玉雲大権現も元は人に害をなす物の怪であった。
神門には神の使いである黒色の狐の像がある。白狐である玉雲大権現に黒狐が仕えているわけだ。
参道脇には、玄翁和尚を迎えて化生寺を建てた高田城主三浦貞宗の供養塔がある。
玉雲大権現は、南から拝殿、幣殿、本殿と並んでいるが、どれも彫刻が見事であった。
拝殿の前に立って、殺生石の化身である玉雲大権現に手を合わせ、史跡巡りの無事を祈った。
だが、我が史跡巡りが下野国那須野ヶ原の殺生石に辿り着くのは無理だろう。
拝殿の西側には、お稲荷さんが祀られている。
お稲荷さんには、沢山の白狐の磁器が置かれている。
白狐は、目に見えないが、今も人々の間をすり抜けながら活動していることだろう。
幣殿は、蟇股の彫刻が立体的で面白い。
見事な彫刻群だが、どことなく不気味である。
幣殿の背後にある本殿は、木材が黒ずんでいて、肉感的な彫刻が施されている。
これには思わず息を呑んだ。
提婆天に匹敵する執拗で醜怪(誉め言葉)な彫刻群だ。
玉雲大権現の霊力を具現化しているかのようだ。
日本人は、昔から怨霊を神として祀って、その霊力を世を守護する力に変えてきた。
白面金毛九尾の妖狐も、今は仏の守護神である。
非業の最期を遂げた者への恐れの気持ちが、日本文化の底に流れている。