大御堂 神集場

 8月3日に美作の史跡巡りを行った。暑い最中の旅である。

 最初に訪れたのは、岡山県真庭市社にある大庭八社と言われる神社群である。

 大庭八社は、この地域に鎮座する式内社8社のことである。

 式内社とは、延長五年(927年)に完成した「延喜式」に記載された、当時の日本の神社の一覧の「神名帳」に記載された神社のことである。

 真庭市社地区には、美作国式内社11社の内、8社が集中している。即ち、菟上神社、久刀神社、壱粟神社、大笹神社、長田神社、横見神社、形部神社、佐波良神社の8社である。

 神仏習合の時代には、この8社を管理する寺院である神宮寺があった。

 社の集落には、かつての神宮寺の跡である大御堂がある。

大御堂

 大御堂は、元暦二年(1185年)に建てられた建物とされている。

 元暦二年と言えば、壇ノ浦の合戦が行われた年である。

 そんな時代の建物が、このような地方の山間の集落にひっそり残っていることは驚きである。

大御堂

 大御堂は、現在「堂ノワキ」という場所に建っているが、この北側に「堂ノモト」という地名があることから、元々は現在地より北の山側に建っていた可能性がある。

 大御堂は、吹き抜けのいかにも古びた木材が使われたお堂である。幾度も再建、修復が繰り返されたそうだが、室町時代以前に遡る木材も残っているらしい。

大御堂内部

 建築当初は、一辺八間(約14.5メートル)の大きさであったが、江戸時代に一辺三間に縮められたという。

 現在は吹き抜けだが、過去には板戸で仕切られていたことを示す跡が柱に残っているという。

大御堂の柱

組み物

宮殿

 床板はまだ新しそうだが、柱の中には虫食いの跡が多数ある相当古いものがあった。

 私はこのような南洋の民家を思わせる古い吹き抜けの建物が好きである。平安時代末期の雰囲気をそのまま保持した建物を前に、私は大きな感動に打たれた。

 堂内奥には、仏像を祀る宮殿があるが、今も仏像が祀られているかは分からない。

屋根

宮殿の前に垂れる数珠

 屋根は茅葺であろうが、今は鉄板で保護されている。

 その屋根からは大きな数珠が垂れている。

 今でも毎年7月中旬に、集落の住民が大御堂に集まって、この数珠を回しながら五穀豊穣や虫除けを祈願する行事が行われている。

 平安時代末期の建物が、今も集落の行事で使われているというのが何とも貴い。

 大御堂の西北には、神集場(かんなつば)という建物がある。

神集場

 この建物は、大庭八社の御旅所である。御旅所とは、神社の祭礼時に神様が乗った神輿が休憩する場所である。

神集場

 神集場では、大庭八社の秋祭りに際して、八社の神輿が安置され、神事が行われる。

神集場内

 大御堂と神集場は、中世の神仏習合の時代の地方の村の信仰の匂いを現代に伝えている建物である。

 そして、今も村人によって、これらの建物では、行事や祭礼が行われている。

 平安時代末期から今まで、同じ時間がこの村に流れているのを感じた。