さて、いよいよ西宮神社の拝殿と本殿を紹介したいところなのだが、私が訪れた日は、残念ながら拝殿、本殿は改修工事中であった。
かろうじて銅板葺の拝殿の屋根が見えるのみで、本殿は覆いに覆われて全く見えなかった。
仕方がないので、西宮神社のホームページに掲載されている写真を用いて紹介させて頂くこととしよう。
本殿は、三連春日造という珍しい造りである。
向かって右から順に第一殿、第二殿、第三殿となっており、第一殿に祭神のえびす大神(蛭児命)、第二殿に天照大御神と大国主大神、第三殿に須佐之男大神を祀っている。
大国主大神は、明治になって合祀されたそうだ。天照大御神と大国主という、言うなればライバル関係と言える神様が合祀されているのが珍しい。
本殿の西側にある神輿殿が、仮本殿になっている。
拝殿、本殿は、昭和20年8月6日の西宮空襲で全焼したが、昭和36年に再建された。
平成7年の阪神淡路大震災で再度被災した。今修復中の拝殿、本殿は、平成12年に復興したものである。
新しい拝殿、本殿とは言え、実物を拝見したかった。今まで西宮神社の前は何度も通ったことがあるが、本殿にお参りしたことがなかったのである。
本殿の横には、境内摂社が並んでいる。
最も大きいのは、仮本殿のすぐ北にある大国主西神社である。
祭神は大国主命こと大己貴命と少彦名命である。小さな神社だが、「延喜式」神明帳にも載る古社である。
その隣にある六甲山神社は、白山権現こと菊理姫命という山を守護する神様を祀っている。白山神社の祭神と同一である。
六甲山頂にある六甲山神社奥宮石宝殿の方向を背にして建っている。
境内摂社の中で異色なのは、百太夫神社である。
百太夫神社は、元は西宮神社から北に行った産所村に祀られていた。天保十年(1839年)に西宮神社境内に遷座した。
産所村には、かつて傀儡師と呼ばれる人形繰り集団が住んでいた。傀儡師は、西宮神社の雑役をする傍ら、全国を行脚し、えびす様の人形を操って、人々にえびす神の御神徳を広めた。
百太夫神社は、傀儡師たちが祀っていた祖先神である。
西宮の人形繰りは、その後淡路島に渡り、淡路人形浄瑠璃となった。そこから大坂に渡って文楽になった。
西宮神社の人形繰りは、日本の人形芸能の祖である。いつしか百太夫神社は、芸能の神様と呼ばれるようになった。
今でも芸能の世界を目指す人たちは、百太夫神社に参拝していることだろう。
西宮神社の北にある西宮市産所町には、傀儡師古跡の碑がある。
西宮の傀儡師は、元禄年間に最盛期を迎えたが、その後衰退し、嘉永年間(1848~1854年)には消滅したという。
能楽も、元は神様に奉納する申楽や田楽から発展したものである。
日本の芸能は、日本の神々と結びついている。
日本の神社の祭りも、豊作豊漁を神様に感謝するためにある。
そう思えば、日本人の生活の隅々までが、日本の神様と結びついていることになる。
何かのおかげで生きているという発想は、昔から日本人の中に流れているものである。