8月25日に丹波の史跡巡りを行った。京都府船井郡京丹波町の史跡を巡る旅であった。
最初に訪れたのは、京丹波町豊田九手(くて)にある九手神社である。

九手神社の創建の詳細は分からない。最古の記録として、長元二年(1029年)九月二十一日に社殿が造営された際の栗材の棟札が残っている。
祭神は大山咋(おおやまくい)神である。山城国の松尾大社から勧請された神様である。


境内は鬱蒼とした木々に覆われている。私が訪れた時は雨が降っていた。

現在の本殿は、明応七年(1498年)三月三日に再建されたものである。室町時代中期の神社建築の様式を残しているそうだ。


朱色に塗られた玉垣に囲まれて本殿がある。本殿は国指定重要文化財である。
三間社流造、檜皮葺のオーソドックスな形をしている。




よく見ると、屋根の下に朱色が残っている。元々は朱色に塗られていたのだろう。
この本殿は、昭和10年に解体大修理されている。それから90年近く経った。再度修理して鮮やかな彩色をしてもいいと思うが、今の古びた感じもいいものである。
蟇股や高欄に、建設当時の様式が残っているそうである。


本殿の裏に回って、本殿背面の写真を撮ろうと思い、本殿を取り囲む山の斜面を登り始めると、足元を黒いものが走った。
それは黒い蛇であった。

私は、神社仏閣を訪れた時に蛇に遭遇することが度々あるが、その度に神仏に歓迎されていると思うようにしている。
蛇のいた先には、新しいものと思われるが、地蔵菩薩像が並んでいて、更にその奥に大きな穴が空いていた。

地蔵は六体あったので、六体地蔵であると思われる。

穴の中にクマでも潜んでいないかと、どきどきしながら近づいた。
幸いクマはいなかったが、驚くことに仏像の頭部が土に埋もれていた。


よく見ると、仏像の頭部というより、仏面であった。
これも古いものには見えない。
過去に神仏習合されていた時代の名残であろうか。地元の人が、近年にここに祀ったものだろうか。
いずれにしても、黒蛇に導かれたように、岩窟の中の仏様に出会ったのには、何か運命的なものを感じた。
穴のある場所からは、本殿の背面がよく見える。

仏頭の先には神様を祀る本殿がある。神様が仏の権現であることが分かるような位置関係だ。
さて、九手神社の南方約1キロメートルに、鳥居野という字名が残っている。

ここに九手神社の一の鳥居跡があるとのことだったが、見つけることが出来なかった。
先ほどの仏頭を見つけた瞬間に、私は胸の高鳴りを覚えたが、史跡巡りをしていると、たまに息を呑むような瞬間がある。
そんな時に、確かに神仏はおわしますという感に打たれる。