6月9日に摂津の史跡巡りを行った。
兵庫県の芦屋市と西宮市の史跡を巡った。
最初に訪れたのは、兵庫県芦屋市東芦屋町にある芦屋神社である。

芦屋神社の祭神は、天照大御神の第二子天穂日(あめのほひ)命である。

天穂日命は、天照大御神の命により、大国主命と国譲りの交渉をするために、六甲山頂の磐座に降り立ち、出雲に向かったが、大国主命に心服して逆に彼の家来になってしまった。
その後、大国主命が天孫(天皇家)に国譲りをする条件として、自らを日本一の大神殿に祀るように頼んだため、天孫が日本に降臨して日本を統治する代わりに、大国主命は今の出雲大社に祀られることになった。

天穂日命は、出雲大社の神官となって大国主命に仕えた。天穂日命の子孫は、出雲国造家である千家(せんげ)家となり、代々出雲大社の神官を勤めた。
今でも出雲大社の神官は、千家家が勤めている。
天皇家の祖先は、天照大御神の第一子正哉吾勝勝速日天忍穂耳(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみ)命であり、千家家の祖先は天照大御神の第二子天穂日命であるが、天皇家と千家家が現存する今の日本では、国譲り神話の後日譚が継続していることになる。

日本は本当に面白い国だ。
芦屋神社の創建は詳らかではないが、天穂日命が降臨した六甲山頂を崇めるために築かれたのだろう。
本殿の脇には、猿丸大夫の墓と伝えられる宝篋印塔がある。


猿丸大夫は、三十六歌仙の一人で、「古今和歌集」の真名序に大友黒主の先達として挙げられた人物である。平安時代初期には既に伝説の歌人とされていた。
藤原定家が選んだ「小倉百人一首」の中に猿丸太夫の歌として、「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」が挙げられているが、この歌も猿丸大夫のものなのか本当のところはよく分かっていない。



猿丸大夫の墓石とされる宝篋印塔は、鎌倉時代の作であり、江戸時代に書かれた地誌に、ここが猿丸大夫の墓だという記載があるそうだ。
芦屋と猿丸大夫の関係は不詳である。
猿丸大夫は、三十六歌仙の一人だが、猿丸太夫の歌として伝えられている歌は、ほぼ「万葉集」「古今和歌集」中の読み人知らずの歌である。

猿丸大夫は、ペンネームの一種だろうから、実在していたとしたら別に名があったことだろう。
猿丸大夫は、日本の歴史のミステリーの一つである。
芦屋神社の境内には、古墳時代後期に築かれた、芦屋市内で唯一完存する横穴式石室を有する古墳がある。

古墳の玄室内には、水神社という石の祠がある。

八大龍王は日本では水の神様とされている。古墳に水神社が祀られていることを考えると、この地は、麓の集落の水源になっていたのだろう。


芦屋神社境内古墳は、6世紀末か7世紀初頭に築かれたとされている。
この辺りには、過去に笠ヶ塚群集墳という古墳群があったが、住宅地の開発が進んで、現存するのはこの古墳のみであるという。


境内には、大きなヤマモモの木がある。


芦屋神社の御神木である。
また境内に、糸魚川産の翡翠で造られた神牛像がある。

翡翠は希少な国産の宝石である。その翡翠で、これほど大きな神牛像が造られたことに驚かされる。
神牛を撫でると、表面はとても滑らかだった。
芦屋神社から西に行った芦屋市山芦屋町には、昭和55年に発掘された、縄文時代の遺跡である山芦屋遺跡がある。

ここからは、縄文土器の破片が複数出土している。

昨年訪問した芦屋市立美術博物館には、山芦屋遺跡から出土した縄文土器の破片が展示してあった。
山芦屋遺跡からは、早期から後期にかけての縄文時代の遺物、弥生時代の遺物が発見されている。

縄文時代早期は1万1500年前から7000年前なので、少なくとも5000年以上ここに人が住み続けていたことになる。
縄文時代は今よりも気候が温暖で海面が高く、六甲山の中腹には高地性集落が出来ていたものと思われる。
芦屋神社のある辺りもそうだが、六甲山周辺は、古くから人間が住み着いていたようである。