昨年12月30日に淡路の史跡巡りを行った。
最初に訪れたのは、兵庫県南あわじ市阿万上(あまかみ)町にある亀岡八幡神社である。
神功皇后は三韓征伐の帰途、重臣の武内宿禰にまだ幼い応神天皇を預け、瀬戸内海から鳴門海峡を経て紀伊に向かわせた。
その際、応神天皇一行の船団は、この阿万浦にて停泊し、一夜を過ごした。
阿万は、古来から海人(あま)と呼ばれた漁業を生業とする集団が住み着いていた地である。
応神天皇が宿泊した縁から、以後応神仁徳朝において、阿万の海人族は、この地で獲れた鮮魚を朝廷に奉った。
この応神天皇との結びつきから、貞観二年(860年)に、浜の宮の地に石清水八幡宮の分霊が勧請され、八幡宮が築かれた。
その後、元暦元年(1184年)、大風波により社殿が水没したため、社を丘の上に移した。
貞永元年(1232年)、阿万兼友が社殿を現在地の亀岡山に移し、亀岡八幡宮とした。
祭神は、第15代応神天皇、比咩(ひめ)大神、神功皇后、第14代仲哀天皇、第16代仁徳天皇、玉依姫(たまよりひめ)命の六柱である。
神門を過ぎると、木肌も瓦も新しい拝殿がある。
拝殿の中には、入ることが出来る。
拝殿から本殿の前まで歩いていくことが出来る。ガラス戸を通して、本殿の正面を拝観することが出来る。
本殿は、大正7年に淡路島最大の五社造の社殿として建築された。
本殿正面蟇股などの彫刻は豪華である。
まだ建ってから100年ほどの本殿だが、重厚感があって、淡路島南部を代表する神社の威厳を感じさせる。
ところで、亀岡八幡神社の祭神の玉依姫命は、初代神武天皇の母で、海神大綿津見(おおわたつみ)命の子である。
海底の宮殿で育ったとされる玉依姫命は、海人たちの祖神とされている。
神武天皇の母が玉依姫ということは、天皇家の発祥にも、海人たちが関わっている可能性がある。
皇室発祥の地とされる日向から、黒潮に乗れば、淡路島南岸の阿万の地に辿り着く。
海洋民族である日本人の始まりの謎が、皇室系図の中に秘められている気がする。