天の浮橋遥拝所の奥には、山ぼうしの広場という広場がある。そこに淡路出身の近衛師団兵卒OBたちが昭和60年に建立した、平和祈念塔がある。
近衛師団は、宮城(皇居)を防衛する師団で、陸軍の精鋭師団である。
淡路全島から近衛師団に配属されたOB達が、戦後になって千代田会という会を作り、平和な世の中の到来を祈念して建てたのが、この塔であるらしい。
千代田会の意に賛同したのが、諭鶴羽神社だったのだろう。
さて、天の浮橋遥拝所に戻ると、そこから諭鶴羽山の山頂に向かう諭鶴羽古道裏参道のむすひ坂が始まっている。
古道を歩き始めてすぐに、石仏群があった。諭鶴羽古道は、神と仏の道である。
石仏を横目に進む。この先には、諭鶴羽神社の奥之院の篠山神社と、諭鶴羽山頂にある頂上社がある。
参道を進むと、途中、奥之院に進む道が右手に分岐する。奥之院の方に進むと、大きなアカガシが道を塞ぐように倒れていた。
アカガシを乗り越えていくと、奥之院篠山神社があった。
篠山神社は、コンクリート製の覆屋で覆われている。手前にある石積みの台は、祭礼時に神輿が置かれる御旅所だろう。
篠山神社の石の祠には、篠山大権現と彫られている。これも仏が化現した姿である。
諭鶴羽古道に戻り、更に歩いていくと、標高約608メートルの諭鶴羽山頂に至った。
ついに淡路島最高所に立つことが出来た。
山頂には、諭鶴羽神社の春の例祭に神輿が置かれる御旅所と、頂上社がある。
頂上社には、諭鶴羽大神と八天狗が祀られている。諭鶴羽大神は、伊弉諾尊と伊弉冊尊である。
諭鶴羽山山頂からの眺望は、それほど良くはなかった。特に海に向かう南側は、林に覆われていて殆ど見えない。
北側の三原平野の方向は、まだ眺望が開けているが、私が訪れた時は霞んでいて、よく見えなかった。
頂上社に祈りを捧げ、再び諭鶴羽神社境内に戻った。
諭鶴羽神社拝殿と神仙館との間に、社務所と神輿の庫があるが、ここは明治の神仏分離まで、神仙寺観音堂があった場所である。
諭鶴羽神社の祭神である伊弉冊尊の本地仏は、観世音菩薩である。神仏分離まで、祭神の御神体として、観世音菩薩像がここに祀られていた。
観世音菩薩像と観音堂は、明治の神仏分離令により、麓の灘黒岩の集落にある地蔵寺跡に移された。
観音堂には、諭鶴羽神社の本地仏であった聖観世音菩薩像と、地蔵寺に祀られていた地蔵菩薩像が安置されている。
この観世音菩薩像は、恐らく承応年間(1652~1655年)に諭鶴羽権現が再興された際に祀られたものだろう。
かつて諭鶴羽権現の本体とされた仏像が、今は諭鶴羽山山麓の集落にひっそりと祀られている。
この仏像が、再び本地仏として、諭鶴羽神社にて祀られる時は来ないだろうか。
さて、観音堂のある場所からは、天の浮橋遥拝所で眺めたよりも沼島がはっきりと見える。
我が淡路の史跡巡りの最終目的地が、あの沼島である。
次回の淡路の旅で、私は沼島に上陸するだろう。