灘黒岩水仙郷 淡路島モンキーセンター 立川水仙郷

 灘黒岩の集落から紀伊水道沿いに県道76号線を東に行くと、灘黒岩水仙郷がある。

 私が訪れた12月30日は、まだ水仙のシーズンではなかったが、それでも幾らかの水仙が花をつけていた。

灘黒岩水仙

 急斜面に水仙が植えられ、斜面に遊歩道が備え付けられている。遊歩道の大半が、急な階段である。

 息を切らして階段を上り下りしながら、水仙を眺めた。

灘黒岩水仙

 遊歩道の登り口には、お登勢の像がある。

お登勢の像

 お登勢は、小説家船山馨が、明治3年に洲本城下で発生した稲田騒動(庚午事変)を舞台にして書いた小説「お登勢」の主人公である。実在の人物ではない。

 稲田騒動は、簡単に言うと、徳島藩から淡路の統治を任されていた徳島藩家老の稲田家と家臣団が、徳島藩から独立しようとしたため、独立を阻止しようとした徳島藩士に襲撃され、多数殺害された事件である。

水仙

 明治政府は、事件に関わった徳島藩士を処断するとともに、稲田家家臣団と家族に北海道静内への移住と開拓を命じた。

 お登勢は、稲田家家臣の妻で、夫について北海道に渡り、苦心の生涯を送った。

 小説では、お登勢が灘黒岩の出身という設定であったらしい。そのため、ここにお登勢の石像が建てられたようだ。

水仙

 灘黒岩水仙郷の駐車場には係員がいたが、シーズンではないので、無料で見学させてもらえた。

 最盛期に来たら、斜面一面に咲き誇る水仙を目に収めることが出来ただろう。

水仙

 さて、水仙を見学した後、更に海沿いの道を東進した。いつの間にか洲本市に入っていた。

 洲本市畑田組にある淡路島モンキーセンターに立ち寄った。

淡路島モンキーセンター

 実は淡路島南部の山々には、野生のニホンザルが生息している。

 地元では、淡路に棲む猿を淡路ザルと呼んでいる。

 淡路島モンキーセンターは、そんな淡路ザルを餌付けして集め、観察できるようにした公苑である。

淡路ザル

 モンキーセンターに入ると、いきなり目の前に猿が現れたので驚いた。

 猿は人間に飛びついたり、持ち物を奪ったりするというイメージがあったが、ここの猿は、観光客に殆ど関心を持っていないような様子である。人間への好奇心や警戒心のかけらもない。

 センターが、観光客が餌となるものを苑内に持ち込まないように徹底しているおかげだろう。

餌付け小屋

 苑内に入ると、サルに餌付けする小屋があり、その前に沢山のサルがたむろし、地面に落ちたエサを拾ったり、仲間同士で毛づくろいをしている。

 不思議なことに、野生の鹿もサルの間にいて、サルの餌を食べたりしている。

たむろするサル

サルと鹿の共生

毛づくろいするサル

 サルも鹿もお互いを全く警戒していない。サルは人間が近づいても、全く気にしない。

 怒ったり、威嚇したり、相手を注視したり、逃げたりという行動は、人間も行うが、これは身を守るための防御反応である。

子ザル

 ここのサルは防御反応を見せない。我々の身近にいる人間の方が、ここのサルより余程防御反応を見せる。

 人間は、言葉を扱うために、立派な存在のように見えるが、言葉を無視して体の動きだけを見ると、まぎれもないただの動物に過ぎないことが分かる。

毛づくろいするサル

 しばらくサルたちを見ていると、次第に雄と雌の違いが分かるようになってきた。

 雄ザルは、雌ザルと比べて、体が大きいだけでなく、眉のあたりが突き出ていて、毛が立っている。見ると威風堂々としていて、雄々しい。

 雄ザルのファンになった。

雄ザル

背後から見た雄ザル

 当然ながら、背後から雄ザルを見ると、股間の辺りに大きな睾丸がぶら下がっているのが見える。

広場にいるサル

 通常のサル社会では、力の強い優位個体が、力の弱い劣位個体を押しのけて餌を食べてしまう。

 人がサルに餌付けをしても、一部の優位個体がほとんどの餌を食べてしまう。

 淡路ザルたちは、なぜか優位個体が劣位個体から餌を奪わないらしい。

淡路ザルの説明板

 岡山県真庭市のサル群に餌をやると、143頭のうち餌を食べたのは19頭で、124頭は餌にありつけなかったそうだ。

 淡路ザルに同じ量の餌を与えると、231頭のうち162頭が餌を食べることができたという。

 サルの前で、地面に「サル」という字の形に小麦を撒いた実験をすると、淡路ザルは優位個体と劣位個体が一緒に餌を食べるので、餌で書いたサルの字の上に群れが集まって、サル文字が出来るという。

 他地域のサルなら、優位個体が劣位個体を追い払ってしまうので、サル文字を作ることが出来ない。

小屋の上のサルたち

 強い個体のみが子孫を残す方が種が発展するのか、弱い個体も含めて多数が子孫を残した方が種が発展するのか、どちらが良いかは、結局はどちらの方が多くの子孫を残しているかで決まるだろう。

 さて、淡路島モンキーセンターを後にし、更に東進して洲本市由良町由良にある立川水仙郷に立ち寄った。

立川水仙

 立川水仙郷は、すり鉢状と言ってよい深い谷の底にある。

 立川水仙郷は、今は閉園となっており、水仙畑も荒れ果てていて、水仙もほとんど見られない。

 それでも雑草に覆われた水仙畑の一部に、まばらに水仙が生えていた。

水仙

 この立川水仙郷は、珍名所として著名な「淡路島ナゾのパラダイス」という一種の秘宝館が併設されている場所である。

 この秘宝館は、令和5年9月に閉館となったが、12月29日から31日までの3日間限定で開館していた。

立川水仙郷と秘宝館

 私が訪れた12月30日には開館していたが、この秘宝館は、当ブログの趣旨と合わないので、見学するのはやめた。

 立川水仙郷を昭和42年に開園させた東田芳高は、戦前に満蒙開拓少年義勇軍の一員として満州に渡り、昭和20年には軍人になって、ソ連軍の満州侵攻の中を生き延びた。

 中国の八路軍中国共産党人民解放軍)に捕らわれ、終戦後10年間を満州で過ごした。

 その後、帰国し、立川の開拓に従事したが、畑が獣害に遭って挫折した。

 最終的に辿り着いたのが、獣害に遭わない水仙を栽培して、観光地にすることだった。

 東田は、水仙の季節以外にも観光客を呼び込めるように秘宝館をオープンさせた。

 昨年東田の跡を継いだ長男が急死し、立川水仙郷と秘宝館は休園となった。

 戦中派が、帰国して戦後の日本で生きるために開園した水仙郷が、今は人の手を離れて荒れ果てている。

 生死の境から生き延びて、戦後にこの谷底に水仙郷を築き、人を楽しませることを夢見た人がかつていたことを偲んだ。