成相寺の本堂は、桁行三間、梁間三間の宝形造りである。本堂の隣には、本尊の薬師如来立像を安置する鉄筋コンクリート製のお堂がある。
鉄筋コンクリート製のお堂には、本尊である国指定重要文化財の木造薬師如来立像が安置されている。
薬師如来立像は、像高約1.6メートルの一木造りで、平安時代初期の作風を濃く残す仏像であるらしい。
淡路島最古の仏像である。平安時代初期と言えば、弘法大師空海が密教を日本に齎して暫く経った時代である。
そんな古い時代に、誰かが淡路にこの仏像を請来し、成相寺を開いたのだろう。
本堂からやや奥に行くと、大日堂がある。大日堂の厨子の中の大日如来像は公開されていないが、その脇には役小角の像がある。
役小角の像があるということは、成相寺は修験者たちが集まるお寺だということだ。修験道との関わりも深いのだろう。
大日堂の隣の小さなお堂には、石造の釈迦如来像が祀られていた。
如来や菩薩の中には、宝冠や三形と呼ばれる持物で身を飾っているものがあるが、釈迦如来像は素手に納衣(のうえ)を着ているだけの姿である。
この無一物の姿こそ、最も尊い悟りの智慧を表す姿であろう。何も持たないことが、全てを持つことにつながるのだ。
今ある成相寺の建物は、江戸時代中期以降に再建されたものだろう。
中世には、成相寺の境内は、今よりも南にあった。
成相寺から南に約100メートル行った民家の敷地に、かつて成相寺で使われていた石造の湯槽(ゆぶね)が残されている。
上の写真中央の、ごみを入れるバッカンの奥に、兵庫県指定文化財の成相寺石盤がある。
この場所が、成相寺の旧参道縁で、前方の成相川の堰堤が「湯殿の井手」と伝承されてきたこと、背後に石垣状の構造物の一部が残されていることなどから、この石盤は、中世成相寺の湯屋に設置された湯槽であると言われている。
砂岩製で、中央に割れ目があるが、割れ目に鎹(かすがい)の跡がある。
過去にこの辺りが成相寺の境内だったことを示す唯一のものである。
人間が作ったものの中で、最も風化せずに残るものは、石造物である。もし自分が生きた証を後世に伝えたいなら、必ず石造物に思いを託すべきである。