淡路

乙倉山金剛寺

養宜館跡から南東に走り、兵庫県南あわじ市八木大久保にある真言宗の寺院、乙倉山金剛寺を訪れた。 乙倉山金剛寺 乙倉山金剛寺は、第79代六条天皇の御代である仁安二年(1167年)に、鳥羽天皇第五皇子で仁和寺総法務職に就いていた覚性法親王が、仏法興隆の…

養宜館跡

安楽寺の参拝を終え、北西に車を走らせる。 兵庫県南あわじ市八木養宜中にある養宜館(やぎやかた)跡を訪れた。 養宜館跡東側の土塁跡 養宜館跡は、暦応三年(1340年)から永正十六年(1519年)までの間、淡路守護として淡路を領有した細川氏七代の居館跡で…

神護山安楽寺 八幡神社

3月21日に淡路の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、兵庫県南あわじ市八木養宜(やぎようぎ)にある八幡神社と、その隣にある真言宗の寺院、神護山安楽寺である。 八幡神社 八幡神社神門 八木養宜の八幡神社は、宮山という小高い丘の上に建っている。 淡…

志知城跡

ハバ古墳のあった南あわじ市立志知小学校から東進し、南あわじ市志知松本にある志知城跡を訪れた。 志知城跡 志知城は、鎌倉時代初めに菅和泉守道忠によって築城されたと伝わっている。南北朝期には、南朝方の志知の武士が、この城を拠点に淡路西浦から京に…

雲龍山宝光寺

兵庫県南あわじ市志知飯山寺にある真言宗の寺院、雲龍山宝光寺には、永和四年(1378年)の弘鑁(こうばん)上人銘のある錫杖があるとのことだったので訪れた。 雲龍山宝光寺 私が宝光寺を訪れた時は、既に日が傾き始めていた。境内に入って石仏などを眺めて…

隆泉寺 玉青館 六面石幢

叶堂城跡から兵庫県道25号線を西に走る。 南あわじ市津井にある、法華宗の寺院、隆泉寺に赴いた。 隆泉寺 本堂 日蓮上人の銅像 この寺院には、洲本市中川原二ツ石から出土した、弥生時代前期~中期の制作にかかる黄帯文銅鐸が保管されている。 銅鐸は、国指…

叶堂城跡

慶野松原から兵庫県道31号線を南下し、三原川にかかる御原橋の北詰の交差点を右折西進する。 川沿いをしばらく進むと、右手に叶堂(かなど)城跡の石碑が建っている。 叶堂城跡の碑 叶堂城は、慶長五年(1600年)に豊臣氏の代官石川光之によって築城された。…

松帆地区の青銅器

日光寺の参拝を終えて、車を北西に走らせる。一路播磨灘を目指した。 兵庫県洲本市五色町鳥飼浦には、海水浴場として名高い五色浜がある。 五色浜 五色浜の砂浜の小石は、近くの礫岩の地層にあるチャートや結晶片岩や砂岩が、波によって洗いだされ、砕かれて…

法性山上宮院日光寺 

産宮神社のすぐ北側にあるのが、浄土宗の寺院、法性山上宮院日光寺である。 日光寺の伽藍 日光寺山門 私が日光寺を訪れた時、東南アジア系の若いカップルが山門前でスマートフォンで記念写真を撮っていた。 最近寺社詣でをすると、日本に在住していると思わ…

江善寺 産宮神社

大和大国魂神社の参拝を終え、三原川沿いに西に向かう。 南あわじ市松帆江尻の集落に入る。集落の東側にあるのが、浄土宗の寺院、江善寺である。 江善寺 この江善寺の境内に、兵庫県指定重要有形文化財の高麗陣打死衆供養石碑がある。 この碑は、文禄の役に…

大和大国魂神社

安住寺集落から南下し、南あわじ市榎列上幡多(えなみかみはだ)の丘陵上にある大和大国魂(やまとおおくにたま)神社を訪れた。 大和大国魂神社の鳥居 この神社は、淡路国二宮とされている。淡路では、一宮の伊弉諾神宮に次いで社格が高い神社である。旧三…

補陀落山安住寺

平等寺の参拝を終え、兵庫県道470号線を北東に走り、兵庫県南あわじ市倭文安住寺にある真言宗の寺院、補陀落(ふだらく)山安住寺を訪れた。 補陀落山安住寺 もともと安住寺は、現在の安住寺を本坊として、東善坊、東光坊、東坊、大門寺、南坊の六坊を持つ大…

明慶山平等寺

倭文(しとおり)八幡神社の北側に隣接して建つのが、真言宗の寺院、明慶山平等寺である。 明慶山平等寺 平等寺は、長年倭文八幡神社の別当寺として同社を管理してきた。 江戸時代までは、八幡神の本地仏として、同社の薬師堂に薬師如来立像が祀られていたが…

倭文八幡神社

1月29日に淡路の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、兵庫県南あわじ市倭文(しとおり)庄田にある倭文八幡神社である。 倭文八幡神社の鳥居 倭文の地名は古く、平安時代中期に書かれた「和名抄」に倭文郷の名が見えるという。この地で梶の木や麻などで織…

広田八幡神社 広林山大宮寺

由良要塞跡の見学を終えて、神戸淡路鳴門自動車道洲本インターチェンジ付近まで戻った。 インターから西に進むと南あわじ市に入る。 南あわじ市広田広田の集落に入ると、その奥に広田の鎮守である広田八幡神社がある。 広田八幡神社 小高い丘の上に社殿があ…

由良要塞跡 その4

第一、二砲台には、28センチメートル榴弾砲が設置されていた。 榴弾砲は、弾道が放物線を描いて山形になるため、敵艦の上部を破壊するのに適していた。 榴弾砲の弾道 また弾の落下速度が速ければそれだけ破壊力が増すので、標高が高い場所に据えられた。 第…

由良要塞跡 その3

生石公園第一駐車場から木製の階段を登って、第五砲台を目指した。 第五砲台に続く階段 生石公園の全体図 第五砲台は、標高88.5メートルに位置する、第四砲台を小型化したような砲台である。 第五砲台は、5つの砲台の中で最後に作られた砲台である。第一~…

由良要塞跡 その2

今に残る由良要塞跡の遺構の多くは、成ヶ島の南側にある生石(おいし)山に集中している。 生石山 生石山上の由良要塞跡遺構は、生石公園という公園の中にある。山上までの自動車路や駐車場、散策路が整備されている。散策路を歩きながら、遺構を見学できる…

由良要塞跡 その1

紀淡海峡を西側から扼する要衝に当たる由良の地には、幕末になって、外国船の侵入から大坂湾を防衛するための台場(砲台)が築かれた。 特に成ヶ島南端の高崎台場には、大規模な砲台が築かれたそうだ。 由良要塞跡の石碑 日清戦争後の明治29年(1896年)には…

由良城跡

南北朝の争乱の真っ只中だった観応元年(1350年)、紀州熊野水軍を率いる安宅氏は、室町幕府将軍足利義詮から、南朝方だった淡路水軍の討伐を命じられた。 安宅氏は淡路に渡り、島内で紀州に最も近い由良に拠点を築き、勢力を拡大した。 安宅氏が築いた由良…

由良湊神社 輝江山心蓮寺

洲本城跡のある三熊山から麓に下りて、洲本市千草にある真言宗の寺院、満泉寺に赴いた。 満泉寺 この寺には、延享二年(1309年)の銘のある鰐口があるそうだ。 勿論公開していなかったので、見学は出来なかった。 私がこの寺を訪れた時は、六角堂で住職が法…

洲本城跡 その4

西の丸から本丸跡の石垣下に戻った。 天守台の艮(北東)の方角に、八王子神社という小さなお社が祀られている。 八王子神社鳥居 実はこの日、洲本の史跡巡りを始めてから、愛用カメラRX100の調子が悪くなった。 通常であれば、シャッターを半押しすれば、オ…

洲本城跡 その3

洲本城跡天守台に登ると、三熊山の北側に広がる洲本市街や大阪湾、淡路富士の異名を持つ先山が一望できる。 洲本市街 洲本港と大阪湾 先山と洲本市街 城のすぐ眼下に港がある洲本城は、山城でありながら、海の城と言ってもいいだろう。淡路水軍を率いた脇坂…

洲本城跡 その2

洲本市街の南側に聳える標高約133メートルの三熊山の山上に、室町時代に安宅氏の手により築城された洲本城跡(上の城)がある。 昨日は江戸時代に築かれた山麓の洲本城跡を紹介した。以後洲本城跡と書くときは、三熊山上の洲本城跡のことを指す。 三熊山上の…

洲本城跡 その1

洲本八幡神社の東側には、寛永八年(1631年)の「由良引け」以後に徳島藩によって築城された洲本城跡の石垣と濠が残っている。 濠と石垣に囲まれて、洲本税務署や検察庁、裁判所の建物がある。江戸時代の洲本の政庁が、今は淡路島の司法の中心になっている。…

洲本八幡神社

兵庫県洲本市山手2丁目にあるのが、古くから洲本城の鎮守として崇敬されてきた洲本八幡神社である。 洲本八幡神社鳥居 社伝によると、淡路国司となった藤原成家が、永祚二年(990年)に領国において苦難に見舞われた際、八幡大神が出現して今後進むべき方向…

旧益習館庭園

6月12日に兵庫県洲本市の史跡巡りを行った。 洲本には、今年3月12日にも訪れた。3カ月ぶりの訪問であった。 洲本の近代化を支えたのは、鐘淵紡績株式会社洲本工場だが、戦後になって洲本の経済を牽引したのは、洲本市上内膳に建てられた三洋電機株式会社…

洲本市 厳島神社

寺町の寺院巡りを終えて、洲本市本町4丁目にある厳島神社に参詣することにした。 この神社は、地元では淡路島弁財天とも呼ばれている。 祭神は安芸の宮島の厳島神社と同じ市杵島姫(いちきしまひめ)命である。 市杵島姫命は神仏習合の過程で、いつしかイン…

洲本市 専称寺 江国寺

遍照院から道を挟んで南側にあるのが、浄土宗の寺院、心念山専称寺である。 地名で言うと、洲本市本町8丁目になる。 専称寺山門 この寺には、庚午事変(稲田騒動)に関わって刑死、獄死した徳島藩士22名を追悼した庚午志士之碑がある。 慶応三年(1867年)…

洲本市 千福寺 遍照院

旧鐘淵紡績洲本工場跡地から、洲本市内の寺町というエリアに行く。 寺町 江戸時代初頭、徳島藩は、淡路の政庁を由良湊に置いていたが、由良が地理的に不便であったため、寛永八年(1631年)に政庁を洲本に移した。これに伴い、武家や町人だけでなく寺も洲本…