沖ノ島古墳群

 大鳴門橋を見下ろす「うずまちテラス」から北を眺めると、海上にポツンと浮かぶ小さな島が見える。

 南あわじ市伊毘の沖合に浮かぶ沖ノ島である。

沖ノ島

 昭和35~36年の発掘調査で、沖ノ島から13基の古墳と1基の祭祀遺構が発掘された。

 13基の古墳の内、2基が横穴式石室を有し、11基が竪穴式石室を有する古墳であった。これを沖ノ島古墳群という。

 沖ノ島古墳群から出てきた須恵器の様式から、6世紀を中心とした古墳であると分かった。 

 また沖ノ島古墳の対岸の山中には、シダマル古墳群がある。こちらは場所が分からなかった。

 沖ノ島古墳群からの出土品は、過去の記事で紹介した南あわじ市滝川記念美術館玉青館にて展示されている。

沖ノ島古墳群から出土した須恵器

 沖ノ島古墳群からは、須恵器や鉄剣、玉類といった祭祀用具の他、鉄製の釣針、軽石製の浮き、土錘、蛸壺形の土器、棒状石製品といった、漁業用具が出土している。

鉄剣

土玉

玉類

 漁具が埋葬された古墳は珍しい。

 「日本書紀」には、淡路の御原(みはら)の海士(あま)のことが書かれている。

 船の扱いに慣れた御原の海士たちは、朝廷の船を操る役を担った。

 秀吉の朝鮮出兵でも、淡路の水夫たちは軍船の操舵手や漕ぎ手として動員された。

漁具の出土品

棒状石製品

 出土品で特徴的なのは、両端を尖らせた棒状石製品である。

 この石製品の使用用途が何だったのか、未だに分かっていない。

 国生み神話で伊邪那岐命伊邪那美命が海をかき回すのに使った天の沼矛(ぬぼこ)を模したものだとか、塩づくりの際の攪拌棒だとか、アワビ起こしの棒といった説がある。

 伊毘の集落の先には、砂浜や漁港がある。その沖に沖ノ島が浮かんでいる。

沖ノ島

 こんな小さい島に13基もの古墳があるというのが驚きだ。

 御原の海士たちは、死後も海に囲まれた場所で眠りについていたいと思ったことだろう。

 淡路島南部の海を見ると、伊邪那岐命伊邪那美命の国生み神話は、案外御原の海士たちが伝承してきた伝説を大和朝廷が取り入れたのではないかと思えてくる。