亀岡八幡神社の西側には、摂社松浦高良神社が祀られている。
この神社の祭神は、古くから海人族が氏神として祀ってきた住吉大神と、応神天皇の参謀であった武内宿禰こと高良大神である。
海人族は、太古に海を渡って何処からかこの地に渡ってきたものと思われる。
後に水軍で有名になった九州肥前国の松浦が、海人族の出身地ではないかと目されている。
この神社に松浦の名が冠せられているのも、松浦郷とのゆかりからだろう。
本殿の真裏には、大国主命を祀る大地主(おおとこぬし)神社がある。
大国主命は、皇室が日本に君臨する前の日本の統治者である。言うなれば、日本列島全体の地主神のようなものだ。
我々は、常に大国主命の恩を蒙っているとも言える。この神社は、亀岡山の地主神として祀られたものだろう。
大地主神社の横に建つ灯籠の形が不思議な形をしていた。
謎の石造物だ。
亀岡八幡神社の春祭りでは、大きな赤い蒲団を重ねた蒲団壇尻が多数出て練り歩く。
蒲団壇尻の発祥は、明治23年頃で、蒲団壇尻が登場すると、壇尻唄が唄われるようになった。
明治大正昭和と時代が推移すると、様々な歌詞や節回しを持つ壇尻唄阿万節が多数生まれた。
春祭りでは、地元の氏子たちが、壇尻唄を唄いながら、蒲団壇尻を曳いて練り歩いていることだろう。
亀岡八幡神社の蒲団壇尻は、阿万地方の春の風物詩である。
また、秋祭りでは、風流大踊小踊が奉納される。
阿万の風流大踊小踊は、五穀豊穣、郷土繫栄を祈願する踊りである。この踊りを行うには、多額の経費が必要となるため、別名百石踊と呼ばれた。
旱魃に際し、神前に雨が降ればこの踊りを行うことを告げ、願いが叶って雨が降ると、願解きとして奉納される。雨乞いの踊りである。
大踊は室町時代末期から江戸時代初期に、小踊は元禄時代に行われるようになったらしい。
大踊は、優雅荘重で古雅な趣があり、小踊は、旋律も伴奏の工夫もより細やかになっているという。
阿万の風流大踊小踊は、国指定重要無形民俗文化財となっているが、ユネスコの文化遺産にも指定されているらしい。
こちらは阿万地方の秋の風物詩だろう。
さて、南あわじと言えば玉葱で有名であるが、亀岡八幡神社の境内には、玉葱神社という末社がある。
淡路で集団玉葱作が始まったのは、大正12年頃らしい。
当時の裏作の主流だった麦作では、農家は十分な収入を得られなかった。
そこで地元農家は、より高収入が得られる裏作作物を研究し、玉葱の栽培に行き着いた。
玉葱栽培が軌道に乗るまでは、幾多の苦労があったようだが、努力と研究の甲斐あってか、昭和11年頃には、淡路の玉葱が日本中に知られるようになった。
この玉葱神社は、阿万地方の農業繁栄を記念して、昭和27年に建立された。
亀岡八幡神社の境内を巡ると、海人族がこの地にやってきてから、神々を祀り、神々に祈り、玉葱栽培を始めるまでの、地元の歴史が俯瞰できる。
地域の神社を丹念に見て歩くと、地域の歴史が凝縮して伝えられていることに気づくことがある。