2024-01-01から1年間の記事一覧

十方山浄橋寺 

名塩の見学を終えて、西宮市生瀬(なまぜ)町2丁目にある浄土宗の寺院、十方山浄橋寺を訪れた。 浄橋寺 この寺院は、浄土宗西山派の開祖証空上人が、仁治二年(1241年)に開いた寺である。 寺院の縁起によると、上人がこの地を訪れた際、この地を荒らす山賊…

名塩

有馬の史跡巡りを終え、山川出版社「兵庫県の歴史散歩」上巻に載っている神戸市内の史跡は全て巡り終わった。 これからは、阪神間の史跡を巡ることになる。以前芦屋市の史跡を巡ったが、今後の摂津の史跡巡りでは、芦屋市、西宮市、宝塚市の史跡を巡ることに…

瑞宝寺公園

有馬温泉街から東に行き、杖捨橋を越え、神戸市北区有馬町瑞宝寺山にある瑞宝寺公園を訪れた。 瑞宝寺公園 ここは、明治新政府の廃仏毀釈により、明治6年に廃寺になるまで、瑞宝寺という黄檗宗の寺院があった場所である。 慶長九年(1604年)に大黒屋宗雪が…

摂取山念仏寺

極楽寺の北隣には、浄土宗の寺院、摂取山念仏寺がある。 念仏寺 創建は、天文七年(1539年)である。 念仏寺は、元々は現在地とは違う場所に建っていた。慶長年間には、この場所に秀吉の正室の北政所の別邸があった。 観音像と太閤秀吉・北政所館跡の碑 徳川…

極楽寺 太閤の湯殿館

温泉寺の東隣に、浄土宗の寺院、極楽寺がある。 極楽寺 極楽寺の創建は古く、推古天皇二年(594年)に聖徳太子により建てられたと伝わっている。 それが本当なら、恐らく有馬で最古の寺院になると思われるが、これはあくまで伝説の領域の話だろう。 極楽寺は…

湯泉神社

伝説では、有馬温泉を発見したのは、国造りの神様の大貴己(おおなむち)命と少彦名(すくなひこな)命の二神とされている。 二神が薬草を探して全国を旅をしていると、有馬の地で三羽のカラスが、赤い湯に傷を浸して治療しているのを見た。 有馬の三羽烏 以…

有馬山温泉寺

善福寺の参拝を終え、神戸市北区有馬町の温泉街を散策する。 温泉街に入ると、平成13年にオープンした金の湯がある。外湯もある公衆浴場である。 金の湯 金の湯の入口の前には、日本第一神霊泉と刻まれた碑が建っている。 日本第一神霊泉の石碑 また、金の湯…

川向家住宅 善福寺

1月28日に摂津の史跡巡りを行った。先ずは、神戸市北区の有馬方面を訪れた。 神戸市北区有野町唐櫃(からと)にあるのが、18世紀後半に建てられた農家の川向(かわむかい)家住宅である。 川向家住宅 川向家住宅入口付近 隣には現代の民家が建っていて、こ…

千足装飾古墳

造山古墳の南西側には、第1古墳から第6古墳まで、全部で6つの陪塚がある。 陪塚は、主となる古墳の被葬者の家臣が葬られた古墳である。 造山古墳に葬られた被葬者の臣が、これらの陪塚に葬られたことだろう。 造山古墳と陪塚の模型 今日は6つの陪塚の中…

造山古墳

守福寺宝殿の見学を終えて南下し、岡山市北区新庄下にある巨大前方後円墳、造山古墳を訪れた。 造山古墳の後円部(北東から南西に向け撮影) 後円部(南から北に向け撮影) 造山古墳は、全国4位の大きさを誇る古墳である。 1位は全長約486メートルの仁徳天…

守福寺宝殿

葦守八幡宮から約500メートル東に行った岡山市北区下足守の山麓に、守福寺宝殿という国指定重要文化財となっている石造物がある。 守福寺の手前までは舗装路がある。舗装路がなくなる手前に車をとめて歩くと、崩れた築地塀が見えてくる。 守福寺の築地塀 守…

葦守八幡宮 

最上稲荷の参拝を終えて、次なる目的地である葦守八幡宮に詣でた。岡山市北区足守に鎮座する。 この神社の参道の始まりにある石造の両部鳥居は、在銘の鳥居としては、岡山県下最古である。 葦守八幡宮の石造鳥居 両部鳥居というのは、鳥居の両足に稚児柱が付…

最上稲荷 その8

八畳岩の見学を終え、龍王山山頂にある最上稲荷の奥之院を目指した。 登っていくと、鳥居の手前の平坦な広場に出た。 鳥居前の広場 この広場やその付近には、昭和14年に建てられたラジオ塔と、昭和4年から昭和19年まで営業していた、中国稲荷山鋼索鉄道(ケ…

最上稲荷 その7

本滝の見学を終えて、更に龍王山を登っていく。 途中、赤鳥居があり、ここから聖域が始まるような雰囲気を漂わせている。 参道途中の赤鳥居 赤鳥居を過ぎて、参道を奥之院目指して登っていく。 すると、高く聳える巨石群が見えてくる。題目岩のある巨石群で…

最上稲荷 その6

旧本殿霊応殿のある場所から、背後の龍王山に登る参道が始まる。 龍王山への参道 この先は、急な階段が続く。 龍王山中腹にある八畳岩は、開基報恩大師が本尊最上位経王大菩薩を感得した場所である。 言わば、最上稲荷の始まりの場所である。 龍王山こそ、最…

最上稲荷 その5

七十七末社が祀られているエリアの中心に、旧本殿の霊応殿が鎮座する。 霊応殿 霊応殿は、最上稲荷で最古の建造物である。 寛保元年(1741年)に、妙教寺七世日道聖人によって再建された。 奥から順に、本殿、誦経堂、拝殿、前堂の四棟から成っている。 前堂…

最上稲荷 その4

本殿(霊光殿)の東側には、宝光閣という建物がある。 和風建築だが、建物の下を煉瓦アーチ橋が支えていて、その下を道路が通っている。 宝光閣 宝光閣の下部の煉瓦アーチ橋 宝光閣 和風建築と煉瓦の組み合わせは、いかにも明治らしい。 大客殿から宝光閣、…

最上稲荷 その3

最上稲荷の広大な境内の東側には、客殿や根本大堂といった古い木造建築が建つ一角がある。 昭和になってから建てられた仁王門と霊光殿を見た後に、ようやく古い寺院の雰囲気を味わうことが出来た。 根本大堂の周辺の図 山門 国登録有形文化財の山門を潜って…

最上稲荷 その2

最上稲荷の寺域は広大である。 背後の龍王山の山頂には奥之院がある。 最上稲荷の参拝コース 私は先ず、最上稲荷を開基した報恩大師の御廟に詣でようと思った。 境内は参拝客でごった返していたが、御廟のある最上霊園に行くと、私1人しかいない。静かな気…

最上稲荷 その1

佐古田堂山古墳の上から北方を望むと、龍王山が目に入る。 その麓に祀られているのが、最上(さいじょう)稲荷という日蓮宗のお寺である。正式名称を最上稲荷山妙教寺という。 岡山市北区高松稲荷に鎮座する。 龍王山 最上稲荷は、京都府の伏見稲荷大社、愛…

佐古田堂山古墳

最上稲荷の巨大な鳥居を潜って、岡山県道241号線を北上する。 右手にある岡山市北区平山の集落の中に、小高い丘陵がある。 この丘陵上に、全長約150メートルという大きな前方後円墳がある。岡山県指定史跡の佐古田堂山(さこだどうやま)古墳である。 佐古田…

文英の石仏群 後編 大崎廃寺跡

岡山市北区三手の集落にある臨済宗の寺院、真福寺にも、四体の文英の石仏がある。 真福寺 本堂 真福寺の山門を潜ると、正面に本堂がある。山門から入って左に行くと、無縁仏の墓石が多数ある。 この墓石群の左側に、文英の石仏がある。 無縁仏の墓石 四体の…

文英の石仏群 前編

1月6日に備中の史跡巡りを行った。 岡山市北区の立田から門前にかけて、天文年間から天正年間(1532~1592年)に渡って制作された石仏群が存在する。 石仏の大半に、文英という制作者の銘が刻まれているので、文英の石仏群と呼ばれている。 岡山市北区門前…

灘黒岩水仙郷 淡路島モンキーセンター 立川水仙郷

灘黒岩の集落から紀伊水道沿いに県道76号線を東に行くと、灘黒岩水仙郷がある。 私が訪れた12月30日は、まだ水仙のシーズンではなかったが、それでも幾らかの水仙が花をつけていた。 灘黒岩水仙郷 急斜面に水仙が植えられ、斜面に遊歩道が備え付けられている…

諭鶴羽神社 後編

天の浮橋遥拝所の奥には、山ぼうしの広場という広場がある。そこに淡路出身の近衛師団兵卒OBたちが昭和60年に建立した、平和祈念塔がある。 平和祈念塔 近衛師団は、宮城(皇居)を防衛する師団で、陸軍の精鋭師団である。 淡路全島から近衛師団に配属された…

諭鶴羽神社 中編

本殿に向かって左奥には、末社の水(すい)神社がある。その左側に、建武元年(1334年)銘の五輪卒塔婆町石がある。 水神社 水神社の祭神は、水源の守護神である弥都波能売(みづはのめ)命である。 諭鶴羽山に降った雨は、麓の人々の生活のための水源になっ…

諭鶴羽神社 前編

亀岡八幡神社から南下すると、淡路南部を東西に横断する兵庫県道76号線通称南淡路水仙ラインに合流する。 県道76号線を東進し、阿万東町の玉葱畑の中を通ると、産直ねこの郷という玉葱の直売所がある。 その手前(西側)の交差点のあたりが、九蔵遺跡が発掘…

南あわじ市 正福寺 萬勝寺

亀岡八幡神社の参拝を終え、本庄川沿いに集落の細い道を東進する。 しばらく行くと、本庄川にかかる薬師橋という橋に至る。 薬師橋 この橋の北西側に、かつて兵庫県指定文化財の木造薬師如来坐像を祀っていた正福寺の跡がある。 石積みの塀が目印である。こ…

南あわじ市 亀岡八幡神社 後編

亀岡八幡神社の西側には、摂社松浦高良神社が祀られている。 松浦高良神社 この神社の祭神は、古くから海人族が氏神として祀ってきた住吉大神と、応神天皇の参謀であった武内宿禰こと高良大神である。 海人族は、太古に海を渡って何処からかこの地に渡ってき…

南あわじ市 亀岡八幡神社 前編

昨年12月30日に淡路の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、兵庫県南あわじ市阿万上(あまかみ)町にある亀岡八幡神社である。 亀岡八幡神社 亀岡八幡神社鳥居 神功皇后は三韓征伐の帰途、重臣の武内宿禰にまだ幼い応神天皇を預け、瀬戸内海から鳴門海峡を…