守福寺宝殿

 葦守八幡宮から約500メートル東に行った岡山市北区下足守の山麓に、守福寺宝殿という国指定重要文化財となっている石造物がある。

 守福寺の手前までは舗装路がある。舗装路がなくなる手前に車をとめて歩くと、崩れた築地塀が見えてくる。

守福寺の築地塀

 守福寺は既に廃寺となっていて、建物も倒壊している。境内は、竹や雑木が生えて荒廃している。

 境内の入口に六体地蔵がある。

六体地蔵

 この六体地蔵が、かつてここに寺があったことを教えてくれる。

 守福寺は、臨済宗の寺院であったらしい。

 六体地蔵を過ぎると、すぐに鳥居があり、その奥にある守福寺宝殿が見えてくる。

王子宮の鳥居

 鳥居の扁額には、「王子宮」と刻んである。かつて守福寺の裏山中腹に、王子権現が祀られていたそうだ。

 守福寺宝殿は、元は王子権現のお堂であったらしい。いつのころか分からぬが、山中からこの場所に移されたのだろう。

鳥居脇の石仏

 守福寺宝殿は、石造の祠である。一見すると、とてもこれが国指定重要文化財であると思えない簡素な祠である。

守福寺宝殿

 守福寺宝殿は、正面に簡素な方柱を立てて庇を支えている。正面は春日造である。

 向拝の方柱のうち、向かって右の柱に、「暦応元年(1338年)十一月廿二日」、左の柱に「王子」と刻んであるという。

守福寺宝殿

 背面は寄棟造になっている。

 木造建築物を髣髴とさせる巧みな細工をした石造物である。

 なるほど、よくよく眺めると、味わいのある石造物である。

 守福寺の境内は荒廃していて、かつてあった寺院の建物が倒壊し、屋根が残っていたり、屋根瓦が散乱したりしている。

守福寺の境内

倒壊した建物の屋根

 境内に残されているのは、石仏や石造の鳥居、石造の守福寺宝殿など、石造物ばかりである。

境内に残された石仏

 地表にあるもので、最も年月の経過に耐え得るものは石である。土は崩れ、木や金属は腐食してしまう。

 人類が築いた石造物は、人類が滅んだ後もしばらくは地表に残っているだろう。

 仏教は諸行無常を説くが、その仏教の教えを弘めるための寺も、諸行無常の習いを免れることは出来ない。

 常住のものはこの世界にはない。人の一生もそうである。朽ちた廃寺の境内に佇んで、定めなき世の定めを思った。