極楽寺の北隣には、浄土宗の寺院、摂取山念仏寺がある。
創建は、天文七年(1539年)である。
念仏寺は、元々は現在地とは違う場所に建っていた。慶長年間には、この場所に秀吉の正室の北政所の別邸があった。
徳川の世になってから、家康が北政所館跡を破却し、ここに念仏寺を移転させた。
秀吉が残した足跡を悉く破壊した家康の執念は凄まじいものがある。
本尊は、快慶作と伝えられる阿弥陀如来立像である。
確かに衣文の彫が流麗である。名品の香りがする。
本堂は、元禄十六年(1703年)の有馬大火災により焼失し、正徳二年(1712年)に再興された。
この本堂は、有馬最古の建物である。
本堂の隣には、七福神の一柱の寿老人を祀る寿老人堂がある。
寿老人は、道教の神仙の一人とされている。不老長寿の霊薬の入った瓢箪を持ち運び、長寿と自然との調和を象徴する牡鹿を従えている。
本堂の前には、白象の木像や、少年法然上人(勢至丸)像がある。
寺の庭園には、樹齢約250年以上の沙羅双樹が植えてある。沙羅双樹は、釈迦が涅槃に入った時に、その四方に二本ずつあった木である。
他の新しい沙羅双樹とは、幹の醸し出す古さが全く異なる。古い木の貫禄は、人を畏敬させるものがある。
沙羅双樹の花が咲く季節になると、白い花が一面に咲く。釈迦の生涯を偲ぶことが出来るだろう。
念仏寺から東に行くと、銀泉の外湯の銀の湯がある。
今回有馬温泉に来て、結局湯には浸からなかった。
私はいつも史跡を巡ることに一生懸命で、食事にはほとんど時間をかけず、買い物は一切しない。
一種の史跡原理主義だが、それがこのブログが長続きした原因だろうと思っている。