八畳岩の見学を終え、龍王山山頂にある最上稲荷の奥之院を目指した。
登っていくと、鳥居の手前の平坦な広場に出た。
この広場やその付近には、昭和14年に建てられたラジオ塔と、昭和4年から昭和19年まで営業していた、中国稲荷山鋼索鉄道(ケーブルカー)の奥ノ院駅跡がある。
ラジオの放送が始まったのは、大正14年である。およそ100年前だ。当時ラジオは高級品であった。
全国に約450基のラジオ塔が建てられたが、現存するものは20基ほどであるらしい。龍王山のラジオ塔は、その内の1基である。
中国稲荷山鋼索鉄道は、旧本殿付近にあった山下駅からこの奥ノ院駅までを4分で結び、20分間隔で運行されていた。
ケーブルカーが運行していた当時は、先ほどの広場には、シーソーやブランコなどの遊具や、うどんなどを販売する茶店があり、参拝客が楽しめる場所だったようだ。
大東亜戦争の戦局が差し迫った昭和19年に廃線となり、レールは軍需資材に転用された。
さて、広場の奥にある鳥居を潜り、奥之院の霊域に入る。
奥之院は、正式名称を稲荷山奥之院一乗寺という。最上稲荷の最奥にある霊域である。
奥之院までは、いくつか鳥居がある。扁額に龍王山と刻まれた鳥居を潜ると、「南無妙法蓮華経」と刻まれた題目石が参道の左右に並んでいる場所に出る。
稲荷信仰では、お塚というものを築く。京都の伏見稲荷の背後の稲荷山にも、神様の名を刻んだ塚が無数に祀られている。
私が過去に読んだ稲荷信仰に関する本には、お塚は、神霊の世界とこの世界を結ぶ出入口であると書いてあった。神の使いの白狐も、お塚を通ってあの世とこの世を出入りするのだろう。
稲荷の信者は、自分に関連するお塚に参拝するのだそうだ。
最上稲荷の題目石にも、伏見稲荷のお塚と同じような役割があるのだろうか。
さて、題目石の間を通り、荒瀧天王と扁額に刻まれた鳥居を潜ると、奥之院の境内に至る。
奥之院の境内の最も高い場所は、龍王山の山頂であるが、その下に立派なお堂がある。最上三神を祀るお堂であろう。
お堂は新しいが立派なもので、蟇股や虹梁の彫刻も見事である。
お堂の中には、厨子がある。この中に、最上位経王大菩薩か八大龍王尊の像が祀られているのだろう。
龍王山の頂上には、数々の題目石が祀られている。
最高所には、最上位経王大菩薩と八大龍王尊の題目石が建っている。
題目石には、「南無妙法蓮華経」のお題目が必ず中央に彫られている。神名よりも、お題目が主役である。
最上稲荷の神々は、無明の世界に迷う衆生を教え導くため、「法華経」の中で久遠実成の釈迦如来が説く悟りの世界から現れ、方便を使って衆生の願いを叶えてくれる。
だが、衆生が悟りの世界に入ってしまえば、元々実体の無いものが、実体の無い願い事を、実体の無いものに対して願っていたことが明らかになる。
そこは、始まりもなければ終わりもない、原因も結果もない、何もない世界である。
だが衆生が迷っている間は、妄念を因として、何もない世界に何かがあるように見える。