川向家住宅 善福寺

 1月28日に摂津の史跡巡りを行った。先ずは、神戸市北区の有馬方面を訪れた。

 神戸市北区有野町唐櫃(からと)にあるのが、18世紀後半に建てられた農家の川向(かわむかい)家住宅である。

川向家住宅

川向家住宅入口付近

 隣には現代の民家が建っていて、この家に住んでいた川向家の子孫の方が住んでいるものと思われる。

 正面の建具も、板戸2枚と明障子という簡素なものである。

 内部の見学は出来ないが、四間取であるらしい。

建物正面の縁側

入母屋造の屋根

 茅葺の入母屋造の屋根は、綺麗に整備されている。

 日本のかつての農村生活を彷彿とさせる建築である。兵庫県指定文化財である。

 ここから有馬温泉に向かった。

 有馬温泉の中央には有馬川が流れている。有馬川にも温泉から湧き出た水が流れ込んでいるものと見えて、川底が硫黄の色をしている。

有馬川

硫黄色になった有馬川の川底

 有馬温泉は、日本三古泉の一つとされている。第34代舒明天皇が飛鳥から湯治に訪れたという伝承が残っている。

 太閤秀吉も愛した名湯である。有馬川には、太閤橋と、秀吉の妻ねねの名を冠したねね橋が架かっている。

太閤橋

ねね橋

 ねね橋の袂には、ねねの銅像が建っている。

ねねの銅像

 ねねの銅像から南は、有馬温泉のメインストリートの太閤通である。

 私が訪れたのは、朝早くだったが、特にアジア系の外国人観光客が沢山訪れていた。

太閤通

 太閤通を南下すると、右手に曹洞宗の寺院、善福寺への石段がある。

善福寺への石段

山門

 善福寺は、僧行基が有馬の温泉寺を開いた時、落葉山水月庵として開いた法相宗の寺院である。創建は神亀四年(727年)である。

 建久二年(1191年)に僧仁西が温泉寺を再興した時、水月庵も再興された。

本堂

 本尊は、一光三尊阿弥陀如来である。インドの月盖(げつがい)長者が鋳造したもので、新羅王から聖徳太子に渡ったという仏像である。

 後に多田源氏の祖、源満仲の念持仏となり、川辺郡の多田院に安置された。

 正慶二年(1333年)、善福寺の本尊として多田院から移された。このころに、寺号も水月庵から善福寺になったようだ。

 善福寺が曹洞宗の寺院になったのは、17世紀初頭で、現在の本堂は宝暦七年(1757年)に建てられたものである。

本堂内部

 善福寺には、国指定重要文化財聖徳太子無仏像と、秀吉が千利休に命じて作らせた阿弥陀堂釜という寺宝がある。

 聖徳太子無仏像は、桧の寄木造りで、胎内に運慶四代の「法印湛幸」と「湛賀」の銘がある。鎌倉時代中期の作である。

 当時は太子信仰が盛んで、太子像が各地で作られた。

本堂

 阿弥陀堂釜は、本尊が祀られていた阿弥陀堂の住持の頭の形を面白がった秀吉が、利休に命じて当時天下一の釜師と言われた与次郎に作らせたものという。

 境内には、樹齢約270年の糸桜がある。

糸桜

 桜の季節に来たら、さぞ美しいことだろう。

 温泉は人を活気づかせる。温泉が豊富にある国に生まれて、幸せだと感じる。